玄倉川水難事故

 今西日本に台風10号が接近しており、各地で雨風が強まっている。そんなときに川の近くでバーベキューをした勇敢な方々がいらっしゃったようだが、川が増水し孤立、あえなく救助要請をする羽目になった。孤立した18人は先ほど全員救助されたようだ。救助にあたった皆さん、お疲れさまでした。

 悪天候が予想されるにもかかわらず河原で遊ぼうとする人たちは今回に限らずいるものだが、今回と違い多くの犠牲者を出したのが20年前のほぼ同日、1999年8月14日に起こった「玄倉川水難事故」である。神奈川県山北郡を流れる玄倉川(くろくらがわ)の中州でキャンプをしていた一行が、熱帯低気圧の接近による増水で川の中に取り残され、結果として13人が亡くなった。

 このケースでは前日から大雨が予想されており、ダムの管理職員や警察官が玄倉ダムの放流を前に退避勧告がなされていたにもかかわらず、その当時周辺にいた行楽客が退避してしまっても、問題の一行は勧告を無視してその場にとどまり、結果として避難が不可能になり流されてしまった。救助も行われたが成功せず、降水が続いていたためダム放流もストップできないなどの要素もあったとはいえ、基本的には彼らが退避勧告を無視して危険な場所にとどまり続けたことが原因の事故である

 それで個人的に興味を持ったのは、このような事故が今日起きた際、世論としては救出を願うかそれとも見捨てるかどちらだろうということである。この事故では救助やその後の捜索にかかった費用は公費負担されており、地元の山北町は4800万円の出費を余儀なくされている(当時山北町の人口は1万4000人弱である)。

 いくら彼らが自分たちの判断で逃げなかったからそうなったとはいえ、警察や消防は救助に向かうだろうし、その後の捜索もする。しかし、彼らの活動の資金を出しているのは国民であり(出している金額に比べ受けられるサービスはかなりよいとは思う)、世論が「自業自得で窮地に追い込まれた人」のためにそこまでしなくてよいとなった時はどうなるだろうか。

 当時も彼らの自己責任を問う声はあっただろうが、20年後の今日に玄倉川の事故が起こった場合、その声はますます強くなっていると思われる。悪天候の中でわざわざ危険な場所に行き、何度も退避勧告をされたのに無視し、結果孤立してしまった様子が報道されれば、当然救助は必要ないという声が社会から上がるだろう。救助にどれくらいのお金がかかるものかが知られれば、なおさらである。真面目に生きて危険なことは避けて暮らしている私たちの税金が、そのような自業自得のやつらのために使われるのは納得いかない、そういう気持ちは自然なものである。

 ただし、そのような自業自得に思えるケースには(他の例としては危険な紛争地帯に赴き身代金目的で囚われたジャーナリストなどもあろう)税金を出さないということが認められてしまうと、その「自業自得」の領域はどんどん広がっていくだろう。危険な場所に住んでいたから災害で家を失っても自業自得、人生設計をしていなかったから老後に困っても自業自得、etc...。

 税金の使い方を国民のお気持ちに従って決めてしまうと、あいつらは自業自得だから助けられなくて当然と思っていられるうちはいいが、いずれ自分がその「自業自得」の人間とされた側に回ってしまったときに苦しい目に遭う。「自業自得」の人々のところに救助が来る社会の方が、多少の不満は抱はあれ、テレビで中州に孤立した人たちが流されていく生中継を笑いながら見る社会よりは、安心して暮らせるのだろう。

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