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命の選別

 ことの発端は、昨年にはれいわ新選組から参院選に出馬している大西つねき氏が7月3日にYouTubeにアップした動画である。その中で彼は「高齢者の命は選別すべき」という趣旨の発言をし、それに対して党内外や一般の人々から批判が巻き起こっている。一旦は「チャンスを与えたい」と処分を保留した山本太郎代表も、数日後に一転して「除籍に値する」という認識を示したようだ。

 このように、れいわと共闘する野党からも、発言に対する批判と、山本代表に処分を求める意見が出てきている。発言のあった動画は既に削除されているが、上に引用したツイートにもあるように探せば発言内容は見ることができる。こちらで手短にまとめておくと、

どこまで高齢者を長生きさせるべきか考える必要がある
・なぜなら、高齢化社会では、それは医療費や介護費の問題だけでなく、若者たちの時間の使い方の問題になるから。
・「命の選別」と言われるだろうが、政治はその選択をしなければならない
・どこまで老人を長生きさせるのかは死生観の話になる。
・高齢者個人の選択もあるだろうが、システムの面で社会的な選択が必要。
・難しい問題だが、正面から考えるべきだし、最終的には皆さんが決めることになる。

といった内容であった。

 周知のことだが、「命の選別」という言葉はあまり好まれるものではないし、強い反感を覚える人も少なくない。「命の選別」というとナチスのやったことと関連付けて批判されることが常だし、最近では植松聖死刑囚の事件もあった。さらにはれいわ新選組には重度の障害を抱える2名の議員もおり、そのような党に属しながらのこの発言というのは、大怒られの発生も当然の帰結であったといえよう。

 ただ、この大西氏の発言、高齢化社会において現役世代や若者が高齢者の生命や生活の維持のためにリソースを供出しなければならないというのは事実である。もちろん命の選別などしないほうがよい。しかし、こういう意見が出てくるのは、彼らはそれが避けられないと考えるからである。リソースを増やしてより多くの人に豊かな生活を提供することは政治の役割であるが、同時に、今起きている問題に対処する際のリソースの分配を調整するのも政治の役割であろう

 高齢者が増えた社会では、当然高齢者を支えるための負担が現役世代ひとりひとりに対して大きくなる。しかも若い年代ほど人口が少なくなっているので、その負担は今後ますます増大することになる。介護は今のところ自動化が難しい分野であり、金銭的な負担のみならず、直接介護に従事する労働者の数も確保する必要がある(しかも介護職は待遇がよいとは限らず、おおむね人気のある職業ではない)。

 全ての高齢者が自然死を迎えるまで必要な医療や介護を提供し続ける、それが大西氏の「命の選別」発言を批判する人たちの理想だろう。しかしこれは先述の前提を踏まえれば、別の「命の選別」をしている可能性がある。それは、新たに生まれていたであろう命に対してである

 現役世代に高齢者の生活のための様々なコストを負担してもらうとなれば、当然若い世代の経済的な余裕は削られていくことになる(もとより今の若い世代は不景気暮らしが長く、経済的に恵まれているとは言えないだろう)。生活費のために長時間労働をすることになれば時間的な余裕もなくなる。さらには、家族の介護をしなければならない場合もあるだろう。

 経済的・時間的に余裕がない、しかも将来もそれが改善する見込みも薄いとなれば、当然のことながら子供は減るだろう。自分の生活で精いっぱいとなれば結婚や出産にも及び腰になるだろうし、それに子育てが20年前後続くとなれば、ある程度生活が安定するという見通しが立たなければ子供の数も増えないはずである。

 しかしながら、仮に若い世代の負担や先行き不安が少子化につながったとしても、それが高齢者のときのように「命の選別」と批判されることはない。なぜなら、生まれなかった子供は存在しないからである。生まれなかった子供は「選別された!」と声をあげることはないし、既に生きている人にとっても、高齢者を死なせることに比べれば抵抗は少ないであろう。

 私はこの世界に生まれることがそんなによいことだと思っていないし、少子高齢化の問題がこれから顕在化するであろう日本に今から生まれるのは不運じゃないかなあとすら思うので、子供が新たに生まれないことを残念だとは思わない。別に生まれなかった子供たちがそのことを残念がっているわけでもないし、選別だと怒っているわけでもない。しかし、今回の「命の選別」発言を批判している人たちの大多数は、人口の再生産により社会を維持していきたい立場のはずである。

 もっとも、高齢者にも手厚い福祉を提供しながら、若い世代の負担を軽くし、社会を維持できるほどの人口の再生産を達成すれば、大西氏をはじめ「命の選別」も必要ではという意見の人々も文句はないはずである。しかし、現状若者や現役世代の生活が最近それほど豊かになっているわけでもないし、少子化にいたっては加速中である。コロナ禍で職を失った人や収入が減ったり不安定になったりした人も多い中では、この目標の達成は一層厳しくなると思われる。

 そうは言っても今はまだ、「命の選別をすべき」という論に多くの批判が寄せられるほどには余裕があるのであろう。しかし、これから社会の高齢化が進む一方で少子化が止まらないとなれば、そのうち、高齢者のためのリソースの提供が難しくなる日が来る可能性は高い。少子化が問題となってもうずいぶん経つ。そろそろ、誕生時に少子化と言われていた世代が親になる頃であろう。子供をもつ世代の母数が少なくなっている上に、各世帯の子供の数も減るとなれば、少子化は一層深刻になるはずだ。

 大西氏のような考え方を「命の選別」と批判し、高齢者をふくめ弱者の切り捨てを許さない姿勢はたいへん素晴らしいとは思うのだが、今のうちに問題を解決に向かわせなければ、いずれは「命の選別」もやむを得ないとする意見が「現実的な見方」として受け入れられてしまうのではないか。声に出して言わなくても、そういう考えの人が増えていった先の結末は、なかなか怖いものがあるように思う。

※この件では他の方もnoteに書かれていましたのでいくつか紹介しておきます。


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