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キャスター・セメンヤ

 キャスター・セメンヤは1991年生まれの南アフリカの陸上選手である。800mを得意とし、オリンピックは2度、世界陸上では3度、金メダルを獲得している。

 セメンヤが素晴らしい成績を収める一方で、「彼女」には性別についての疑惑も付きまとってきた。世界陸上で最初に金メダルを獲得した後、その見た目や声から「実は男性なのではないか?」との疑いが持ち上がり、検査がなされたようだ。その結果、金メダルが確定した一方でセメンヤ選手には性分化疾患があることが判明、セメンヤは体内に子宮と卵巣がない一方で精巣を有しており、彼女の体内では通常の女性の3倍以上のテストステロン(男性ホルモンの一種)が分泌されていた。テストステロンは筋肉の肥大につながる物質であり、これが多いことで筋肉量の面では有利に働くと考えられる。

 セメンヤは検査後非公式に大会出場の自粛を求められていたが、結局2010年に国際陸連はセメンヤの女性としての競技復帰を認めた。しかしセメンヤがロンドン五輪で金メダルを獲った翌年の2018年、国際陸連は「テストステロン値が高い女子選手の出場制限」という新規定の導入を発表、セメンヤのような選手が出場するにはテストステロン値を下げる薬の服用が必要とされた。

 これを不服としたセメンヤはスポーツ仲裁裁判所に異議申し立てをし、それが却下されるとスイス最高裁に上訴した。しかし2020年9月8日にスイス最高裁はセメンヤと南アフリカ陸連の訴えを退け、国際陸連の新規定を認めた。セメンヤはこの規則には従わない姿勢であるため、今後の五輪などへの出場は難しくなっている。

 セメンヤとすればこの「逆ドーピング」規定は受け入れられるものではないだろう。Wikipediaによればセメンヤは女性として育ったが、小さいころからその性別を疑われていじめられていたという。そんなセメンヤにとって陸上競技は自分が輝ける場所だったはずで、生まれ持った体を生かして戦っているだけなのにそれが禁じられるのを認めるわけにはいかないと思うはずだ。セメンヤは新規定の薬の服用を「私が私であることをやめさせる」ことだと表現している。

 一方で他の女子選手からすれば、セメンヤと同じ土俵で戦うことを不公平と感じてもおかしくない。セメンヤを批判した女子選手に対して非難が集中したこともあったようだが、口には出さないまでも同じようなことを考えている選手は他にもいるだろう。半ば男性のような選手が一人混じっていることで優勝がかなり難しくなるのだから。

 他の競技同様、陸上競技でも男女の記録差というのは明確にあり、調べた人によれば女子の世界記録は男子のおおよそ1.1倍くらいになるそうだ(この人は1000mあたり20秒ほどの差が出るとも言っている)。男子のほうが明らかに有利であり、セメンヤのような女子選手が問題となるのも仕方がないことだろう。もっとも「生まれつき」と言っても、トップクラスの陸上選手は程度の差はあれ「生まれつき」のアドバンテージはあるだろうし、どこに線を引くかが問題になるのだが。

 ちなみにセメンヤは2010年代の女子800mで圧倒的な強さを見せたが、彼女のベストタイム1分54秒60(2018)は女子800mでは現時点で史上4位である。ワールドレコードは1983年にチェコスロバキア(当時)のヤルミラ・クラトフビロバが記録した1分53秒28。この記録は現時点での屋外種目世界記録のうち最も長い期間破られていないが、彼女の男性的な容貌や不自然にも見える記録の伸びなどからドーピングを疑う者もいる。

 男子の世界記録はケニアのデイヴィッド・レクタ・ルディシャが持つ1分40秒91。セメンヤの記録は10位(1分42秒34)にも遠く及ばないため、セメンヤが男性として出場した場合は世界大会で今までのような活躍はできないだろう。

 女子陸上選手の「男性疑惑」というのはセメンヤに限ったことではなく、去年行われた中国の全国陸上競技選手権大会でも女子400mリレーで優勝した湖南省女子チームの4人のうち2人に「男性に見える」との声が相次いでいる。

 疑惑の目が向けられた2人は中国のナショナルチームの主力選手でもあり、中国陸上委員会は「2人は正真正銘の女性」だと疑惑を切り捨てた。しかし、個人的な感想としては、件の2人は男性に見えてしまうのも事実だと思った(正直なところこの4人の中で写真から自分が明らかに女性と判別できたのは一番左の選手だけだった)。

 セメンヤは南アフリカの選手であり、アフリカ系の人々を見慣れているわけではない自分からすれば、そこまで性別的な違和感は覚えなかった。しかしアジア系のこの両選手に関しては、自分はこれまでの経験から顔や体つきを見て確実に男性と判断するだろう。一方で体にフィットした陸上のユニフォームの上からは、男性ならあるはずのものがあるようには見えなかった。

 もちろんその人の性別はその人の性自認がどうかというのが第一だと思うので、彼女たちが自分は女性だというのなら女性として扱うのが望ましいだろうし、外から判断できるのは各特徴が男性的か女性的かということに過ぎない。ただスポーツのような、性別によって記録の差がある世界では、生まれつき男性的な特徴をもった「女性」が女子種目で有利になってしまうという問題はどうしても発生してしまうし、「一般的な」女子選手が不公平感を覚えるのは避けられない。


 最後に余談。これを書くのに陸上各種目の世界記録を見ていたのだが、アフリカや欧米の選手がほとんどの記録を持つ中で、100km競争は男女ともに日本人が記録を保持している。100km競争がどれくらいの競技人口なのか、欧米やアフリカの選手がどれくらい参加しているのかなどは気になるが、スポーツにおいて日本人は肉体的に不利と言われることが多い中でもこういう例もあるんだなと思った。

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