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過疎

 四国最大の河川、吉野川を徳島から遡ると三好市の辺りで南に折れ、やがて高知県に入る。さらに遡って西に進むと、最上流にあるのが旧本川村(現在はいの町の一部)である。

 国土地理院がインターネットで地図を公開しており、いろいろな所を見ているのだが、前に吉野川をひたすら遡るというのをやったことがある。結果としては上述の通り、旧本川(ほんがわ)村にたどり着く。言うまでもなく四国山地の奥深くであり、失礼ながらこんな源流の近くまで人が住んでいるのだなあという感覚だった。

 そして、地理院地図で吉野川の源流に一番近いところに見つけた小学校が「越裏門(えりもん)小学校」である。少し変わった読み方で気になったのもあって、何人くらい通っているのか検索してみたところ、こちらのサイトにたどり着いた。

 こちらでは、高知県の廃校・休校になった小中学校について詳しくまとめられており、興味深かったのだが、越裏門小学校について言えば、2002年からこの校区の児童は下流の長沢小学校に通うようになっており、越裏門小学校は休校中ということだった。訪問記には越裏門小学校区内の児童生徒は現在10人に満たないと書かれていたが、更新履歴を見る限り10年以上前のことのようで、現在はもっと少ないかもしれない。

 さて、先ほどのサイトを見てわかったのだが、旧本川村には越裏門小学校よりさらに上流に寺川小学校という学校があったようだ。1981年には越裏門小学校に統合され閉校となっている。現在(訪問記が書かれた時点なので数年前)の寺川地区の人口は20人ほどだそうだが、昔は150人前後が住んでいたようである。

 さらには旧本川村内で吉野川から分かれる支流の先に、殿御舎(とのこや)小学校というのがあったらしいのだが(地図では大森川ダムの上流にあたる)、地理院地図では小学校の表記はおろか人家や地名の表記すらない。こちらは林業関係者が主に住んでいた地区のようで、事業所の廃止に伴い、地区自体が消滅してしまったようである(1973年閉校)。

 過疎と言うのは平成に始まったことではなく、高知の小中学校でも主に山間部で昭和のうちから統廃合が進んでいる。地理院地図で吉野川以外でも山奥の人家や学校を探していたが、それらの多くにはもはや人は住んでいないのかもしれない。

 自分の生まれ育った地域が消えていく気持ちは私にはわからないが、きっと辛いのだろうと思う。しかし不便な上に現在は職も少ない山間部から人口が流出するのは仕方ないし、過疎化すればなおさらである。正直、生まれるところを選べるなら山奥や離島は避けるかなと思ってしまう。過疎の地域を再興すると言っても、そこで生まれる子供に不便を強いる側面は避けられず、居住地の自由を認める限り過疎は(居住者の消滅以外では)解消できないのではという気がしてくる。

 Google Earthで越裏門小学校を見たところ、昔校庭だったところはヘリポートになっており、存在を主張するように'HONGAWA ERIMON'と白く書かれていた。

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