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宿題

 なぜ宿題をしなければいけないのか。

 多分ほとんどの人が小学生のうちに行き当たった疑問であろう。確かに宿題は面倒だし、終わらなければ遊ぶ時間も減る。この疑問は特に勉強が得意でない子供にありがちだろうが、そういう子供こそ宿題が必要とはいえ、早く終わらせられる子供を見ると不公平感を感じるかもしれない。小学生のころにはもう学力の差は付き始めているが、それは本人が自覚的にどうこうできるものでもなかっただろう。

 まず宿題の目的として、学習したことの定着があるだろう。学習したことをその日のうちに復習することは記憶の定着に有用だろうし、同じような内容を何度も繰り返すことでその効果はさらに高まるだろう。小学校で習う内容は特にその後の日常生活に役立つことだろうし、学習したことをしっかり定着させておくのは重要である。

 また家庭学習の習慣化というのも目的にありそうだ。小学校レベルの内容であれば宿題として復習しなくても特に問題なく身につく子供もそれなりにいると思うが、その後彼らが中学生や高校生になったときも同じことが言えるとは限らない。小学校のうちから学校だけでなく家で勉強する習慣がついていれば、進学後勉強が難しくなった時にも、予習や復習をしやすいのではないかと思われる。

 筆者は教育関係者ではないが、少し考えただけでも宿題をしておいたほうがよさそうな理由は幾つか挙がるし、小学校レベルなら特に、ちゃんとやっておいたほうがよさそうである。そもそも「宿題をしなければいけない」状況というのは教育が受けられていることの証拠であり、宿題はないかもしれないが「生きるため」の努力を強いられている子供たちがまだ世界中にたくさんいることを考えれば、恵まれていると言えるだろう。

 でも、めんどくさいよね。

 これから先、宿題がなくなることはあるのだろうか。私は現状宿題の有用性は認めるとはいえ、なくてもよいならなくしてしまえと思っている。子供の勉強は大人の仕事にも例えられるが、だとすればどちらも短時間で済むほうがよいはずである。どうすれば宿題が必要なくなるのか。

 結論を言えば、学校で宿題が必要ないくらいに定着させればよい。現在の学校は週5日、1日5-6時限くらいの授業をしているので、その中で全員が習ったことを身に着けられるようなカリキュラムを組めば、宿題は必要ないはずである。

 できるのか?という感じではあるが、逆に言えばこれを目指さなければならないと思う。短時間で効率よく学習できたほうがよいだろうし、それができないために宿題に頼るのは解消すべき問題であるとも言える。実現のためには、先生が教室で黒板を使って教える現在の一般的なスタイルから進んで、もっとゲームのように子供が強制されなくても勝手に頑張ってくれるシステムが必要となるだろう。宿題をしないとあなた達が困るから頑張れ、と日々言っている先生方には、それはその通りなのだが、同時に宿題が当たり前という認識は持っていてほしくないなと思う。

 ただ現場の先生方にそれを言っても限界があって、根本から変えるとなると国の教育行政の問題になる。

 しかし教育行政をつかさどっている人々が教育カリキュラムの抜本的効率化に動くかは疑わしい。

 なぜなら、彼ら官僚・エリートたちは学校のお勉強を頑張って乗り越えてきた、あるいは大して苦とも思わなかった人たちが多数派だろうし、そんな彼らに宿題をなくすインセンティブが見つからないからだ。宿題、特に小学生レベルのものは彼らにとっては大したハードルではなかっただろうし、中学受験のためにそれ以上の勉強をしていた人たちも多いだろう。宿題をなくしたいと考えている人たちがどれだけいるか疑問である。またもし彼らの子供たちが英才教育を受けるとするなら、国民全員の教育レベルが大幅に上がることは彼らにとってメリットがない、というのは考えすぎだろうか。

 宿題をなくしたいなら偉くなって教育を変えなさいという話をされたことがあるような気がするが、確かにそれはそうである。しかし、実際にそこまで偉くなる人の大半は宿題をなくしたいとは思わないだろうし、そのため宿題がなくなるのはまだ先の話であろう。

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