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漂う欠片

 こちらは両方今日(8/10)のツイートだが、Twitter上でいくつか批判的な引用リツイートが寄せられた。当アカウントはフォロワーも少なく普段の通知も多くないので少々ビビってしまったのだが、興味深かったのは批判的な引用ツイートを寄せたのは反出生主義支持のアカウントであったことだ。

 普段私のnoteやTwitterをご覧いただいている方ならご存知だと思うが、私は割と反出生主義支持の立場である。それなのにどうして反出生主義支持のアカウントに批判的な引用をされたのかというと、反出生主義の中での意見の違いではなく、単にこのツイートだけを見て「この人は反出生主義を発達障害だと思っている」「反出生主義を治療すべきものと思っている」と読み取った人がいたからだ。

 今回批判的な引用リツイートをした人は誰もちよさきTwitterのフォロワーではなく、はじめましてのアカウントだった。私のツイートをフォロワーがRTしたものがその方々のタイムラインに流れたのだろう。そして冒頭の私のツイートを見て、「反出生主義は発達障害の症状ではない!」「反出生主義は病気ではない!」と思って引用リツイートで自分の意見をツイートした、ということのようだ。確かにこのツイート2つはそれだけ見ればツイート主が反出生主義支持なのか不支持なのかは読み取れない。

 ツイートの内容について説明しておくと、まず一つ目は「もし反出生主義という思想が何らかの脳の発達の異常によって陥る思考であるとしたら、それを自分では気づけないよね(その人の思考はその人の脳に縛られるので反出生主義が正しい世界にしか生きられないんじゃないか)」という話である。これはあくまで「可能性」の話であり、「逆もあるにはあるけど」というので先に挙げた可能性があるなら反出生主義不支持のほうが脳の「異常」によるものであるという可能性も同様にあるということを示唆している。

 こちらとしてはこのツイートで「反出生主義が発達障害に起因するものである」と言わんとする意図はない。脳に何らかの発達異常があれば思考も当然影響を受けるよね、脳の器質的な何かが反出生主義への態度に影響を及ぼす可能性もあるよね、程度のつもりだった。賛否はともかく反出生主義を理解する人が多くない現状を見ていると、こちらが脳の問題で非論理的な思考に陥っているのではという可能性すら頭に浮かぶということが背景にあった(さずがにこの背景まで読み取れという気はない)。

 ただここでは「可能性」がどれくらいのものなのか、1%なのか30%なのか50%なのか示されていないため、私がその可能性を現実的なものと考えているのか、あるいはもしかしたら程度の話で言っているのかはわかりにくかったかもしれない。このツイートの場合はあまり「可能性」を大きく見積もっていないので、「もし○○だったら~」という構文の方が的確だったと思う。

 そして二つ目、これは一つ目の「反出生主義が脳の問題とされて治療の対象になる可能性もあるんじゃないか」というツイートを受けて、ではもし反出生主義が「治療」の対象になった場合、どういう治療が施されるんだろうか?というツイートである。これは「反出生主義は治療すべきである!」という主張ではない(一つ目のツイートで「もし治療の対象になるなら」とある)。「治療」に鉤括弧がついているところでその辺は読み取れるものだと思ったのだが、そう読まない人もいるということがわかった。「反出生主義は治療すべき問題ではない!」と思って引用リツイートをした方々、こちらもそう考えておりますのでご安心ください。

 ただ、いくらこちらの意図があったとしても、みなさんに見られるのはツイートの文字列だけだし、リツイートで流れていった先ではこちらの普段のツイートやそのツイートの文脈から切り離された形でしかツイートは存在できないので、こちらの意図が全て伝わることは期待できない。今回はフォロワーのフォロワーくらいまでの広がりだったが、さらに拡散されれば、ツイートはその背後の文脈から切り離されてインターネット空間を漂うことになり、当然ツイートの意図とは違う読み方をされることも増えるだろう。

 Twitterのシステム上仕方ないことではある。個人的にはリツイートで流れてきたツイートにコメントしたければ、アカウントのプロフィールページに飛んで最近のツイートを見るなりしてツイートの文脈やツイート主の思考傾向を読み取ってほしいと思うのだが、求めすぎなのだろう。ある程度の誤読や認識のずれはどんな文章でも発生するだろうが、わかりやすい表現を心掛けたい。

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