「つらくない非モテ」として

 先日2/14の夜にniconico生放送でこういう番組があっていた。この番組の中で、自分を「非モテ」であると考えている人がそのことを辛いと感じているか否かのアンケートがあったのだが、小数点第1位まで全く均衡しておりこれには出演者の皆さんも驚いていた。非モテはつらいものと考えられがちであるにもかかわらずである(別につらくないならこういう番組自体企画されないだろう)。

 かくいう筆者もバレンタインに非モテ番組を聞いていることから察せられるように非モテの一人である。しかし現状そのことで特につらい思いをしているわけではない。ということで、番組の記憶も辿りつつ、なぜ私が現在非モテを苦にしていないのか、さらには非モテがつらく感じる原因を考えていこうと思う。

経歴

 最初に筆者の非モテ経歴をおさらいしておこうと思う。

 中学の半ば頃、気づいた頃には学年に数組カップルが成立しているという話だった。しかしその頃には特にそういうのに興味はなかったし、親しい友人たちにもそういう動きはなかった。

 高校に入るとカップルも増えた(それなりに高いレベルの進学校だったので他校と比べればあまり多くはなかったかもしれない)。しかし自分にはそういう話はなかったし、自分からどうこうというのもなかった。そういうのには奥手だったし、特に異性から嫌われていたとは思わない(そう信じている)が恋愛対象として見られることはなかったと思う。高校でも友人たちにはそういう話はあまりなかったので、類は友を呼ぶではないが異性交際が促進される交友関係ではなかったようだ。

 経験がないとはいえ興味もないわけではなかったので、大学では何かそういうイベントが自分にも起こるのではないかと若干期待していた部分もあった。学部もサークルも極端に男女比が偏っているわけではなかったし、事実サークルでは内部恋愛も盛んだったようだが、結局自分には何も起こらなかった、あるいは何も起こさなかった。サークルで親しくしていた友人たちにはぽつぽつそういう話があったようだが、自分はそれを知らないことも多かったので、周囲からも恋愛に興味があると思われていなかったようだ(友人2人が付き合っていたと知ったのは卒業の頃、しかも別れて1年以上経過してからのことだった)。

 筆者は見た目がいいわけでもないしエンターテイメント性も特にないので、恋愛対象になるタイプではない。それに加え積極性がないので交際経験がないのは当然の成り行きである。もともとそこまで興味がなかったのに加え、大学の途中からは特に他に時間を費やすことが増えたので一層恋愛イベントからは遠ざかった感じがある。

周囲の環境

 非モテ状態をつらいと感じるかにかかわってきそうなのが、周囲の環境である。周りの友人たちがパートナーのいる人ばかりであれば、なぜ自分には相手がいないのだと疎外感や焦燥感を感じてもおかしくない。幸か不幸か、私が親しくしてきた友人はそういう話があまりない人が多く、あるいはそういう関係があってもそもそも私がそれを知らないことも多かった。そういう環境であれば恋愛イベントは起こりづらくなるが、かといってそういうことがなくても疎外感や焦燥感を感じることはなかった。

 また家族が異性との交際を期待していれば、非モテ状態をつらく感じやすくなるだろう。私の場合そういうことはこれまでないので、交際相手がいないことでつらい思いをすることもなかった。

 現在交際相手がいる若者は減少傾向にあるようだ。周囲の同年代の人たちのうち交際相手がいないのが多数派であれば、非モテでもつらい思いをしにくくなるだろう。また、ライフスタイルの多様化で家族からの期待も昔ほどは強くないと思われる。

ぼっち耐性

 パートナーが欲しいという欲求の強さの問題ともいえる。一人でも楽しく過ごせれば、あるいは同性の友人で十分であれば、異性と交際しようとするモチベーションも違ってくるだろう。

 筆者の場合、昔から一人遊びが得意なので誰かと過ごそうというモチベーションはそこまで高くない。むしろ誰かとすることが思い浮かばないと言ったほうがいいかもしれない。誰かと付き合えばデートなどにも行くのだろうが、デートでするようなことにそもそもあまり魅力を感じていない。つまり、モテた後のビジョンがないのだ。

 また異性交際に関係するものとして性的欲求や承認欲求もあるのだろう。両者とも筆者は現在どうにかなっており、異性交際に積極的になるには至っていない。もうずっと一人なので、それに適応してしまったようである。

 現代日本には様々な娯楽があり、一人でも、交際相手がいなくても楽しく過ごすことは容易くなっている。性的欲求も異性のパートナーなしで発散する方法は増えており、より高度になっている。あとは承認欲求をどうにかできればといったところか。

今後

 将来の結婚願望があると聞かれれば、私の回答は「ないわけではない」くらいになるだろう。別に絶対にしたくないわけではないが、特にしたいとも思っていない。現在のところ私は子供をつくることに非常に消極的であるため、そこの合意が得られなければ結婚することはないだろう。

 両親からも結婚や子供を求められているわけではない。昔と比べればそういう期待、ともすれば圧力は小さくなっているだろう。ライフスタイルが多様化し、未婚率も上がっている中で、周囲から自分だけ遅れているのではという焦燥感由来のつらさは少なくなるのではないかと思われる。最近欧米ではMGTOWというムーブメント、すなわち社会的に期待される性的役割から「降りた」男性たちの勢力が大きくなっているようだが、筆者も(半ば結果的に)そういう生き方をすることになりそうだ。

まとめ

 ここまで筆者自身が非モテを特につらく感じていない理由を分析してきた。まとめると次のようになるだろう。

・周囲の環境が非モテに疎外感や焦燥感を抱かせるものではない
・ぼっち耐性が高く交際相手を必要としていない
・結婚願望があまりない
・家族から結婚や子供を期待されていない

 これらは私の内在的なものとも、周囲の環境とも関係しているだろう。特に現代日本は「おひとりさま」に非常にやさしい国になっており、非モテでもつらくないと回答した人が多かったのも日本ならではかもしれない(欧米のインセルと呼ばれる「過激派非モテ」興隆の背景にはパートナー文化があるようだ)。

 私は今のところ「つらくない非モテ」だが、別に「つらい非モテ」のことを否定する気はない。過去にはなぜ自分にそういうイベントがないのかと思ったこともあるし、今後「つらい非モテ」になる可能性もある。冒頭の番組でも「非モテ」は社会問題とつながっていることが語られており、つらいつらくないと言った「心の持ちよう」で済む問題でないことも確かである。

 結婚圧力が低下し、さらには恋愛自体がリスク化しつつもある現代において「非モテ」あるいは「おひとりさま」は今後も増えるものと予想される。しかし幸い、日本ではおひとりさまでも生活しやすい環境が比較的整っているし、非モテだからといってつらい思いをすることも少なくなるのではと考えられる。いやむしろ、非モテが増えればそれだけ非モテ向け市場が形成されるだろうし、社会も単身者の増加に対応せざるをえなくなるだろう。「つらくない非モテ」は今後も増えるのではないかと思っている。

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