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13: 小学校5年の時に生きる意味を喪失する


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今回は、千代能の小学5年頃の話をします。

こんな事を書こうと思ったのは、その後の自分に大きな影響を与えることになったからです。


それでは、背景の説明から入ります。


両親


たぶん両親の影響が大きかったと思います。


自分の両親は、2人とも宗教を信じません。


宗教は、騙されてお金をむしり取られるところと考えているようです。


だから、どこの宗教団体にもまったく近づきませんでした。


それに、


農家の跡取りでは無かった両親は、


結婚の時に故郷から離れて所帯を持ったので、家に仏壇もありません。


その為、自分は仏壇すらあまり見ないで育ったのでした。


教育


少なくとも自分の思い出すことの出きる限りにおいて「学校」で死について教わった記憶がありません。


たぶん、昔の日本や外国なら状況は違うのかもしれませんが。


もちろん、「自分の両親」からも「死」については何も教わりませんでした。

ま、今の自分にしても「死」についてわからないので、何も教えることもできないのですが・・・


唯一、死に触れる情報としては、「絵本」に出てくる「天国」や「地獄」とか、テレビのアニメだけだったと思います。


小学5年では解決出来ない問い


そんな背景の中で、小学生だった自分には「手におえない問い」が発生してしまいました。


多分、「子供の科学」のようなイラストの付いた本だったと思います。


その情報は、「宇宙の一生」と言う内容のものだったと思います。


星が「生まれ」、「成長」し、最後には「死ぬ」ように、宇宙もまた、最後には死んでしまうと・・・


つまり、「今、住んでいる宇宙も、何時かは無くなってしまう」と説明されていました。


ショック」でした。


それから類推できることは、どんな生き方をしても最後には「無」なのです。


何も残らないのです。



「宇宙の死」のインパクトは大きかった。


人類の歴史に貢献するなんてことも、意味が無いのは当たり前だし、


種を存続させるために、親から「子供」に命を繋ぐなんて言うことも吹っ飛んでしまったのです。


結局の所、最後には・・・「無」なのですから


まだ小学生だと言うのに、「生きる希望(目的?)を見失ってしまった」のです。



無意味感


虚無感


絶望


昼間の間は、いろいろやっていたので忘れていたのですが


布団に入って横になり目を閉じると、「宇宙の最後」が頭に浮かんでくるのです。


そして、決して解決できない思考を繰り返す日々を送ったのです。


ただ、時間がたつにつれて、だんだん思い出さなくなりました。

でも、どこかで覚えているんですよね・・・


そんな、子供時代でした。






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