2024年1月24日 水よう日

 すっかり数日おきにまとめて書くようになってしまった。昼間ねむいのをがまんしているので、夜になるとすぐねむってしまう。朝から夜まで起きているのはたいへんだ。こんなに起きていることが苦痛だと感じたことはない。やることもやりたいこともないのに、起きていることが……。よく働けていたものだと思う。働いていたころは7時ころなんとか起きて、9時から19時くらいまではだいたい働いていた気がする。遅いと20時とか21時とか。あんなにまいにち時間をかけて、いったいなにをしていたんだろう?帰ると食事をしてふとんにはいって24時か25時にねむっていた。信じがたい。まいあさ、とてもねむくてつらかったけれども。

 22日の月曜日は映画を観にいくことにしていた。『窓ぎわのトットちゃん』。公開開始からそこそこ時間が経っているからか、朝いちばんの回だった。出勤するみたいな時間帯に起きて家を出る。がらがらのスクリーンは快適でいい。けっこう泣いてしまう。尊重することや愛すること、思いやることはとうといなあと思うと泣いてしまう。きれいでうつくしいものを見て、そんなのありえないしうそっこだと昔はよく思っていたけれど、いまはなんだか、すくなくともこれを作ったひとはきれいでうつくしいものを信じていて、欲していて、願っているのだということがわかるので、すなおにいいなと思う。そういう作品が支持されたり好まれたりすることも、じっさいはどうあれ、きれいでうつくしいものを欲する人がいるのだとわかるから好きだ。じっさいはどうあれ。
 映画の後はすこし歩いてひさしぶりに銀座ウエストへ行った。ここはお気に入りの喫茶店。わたしの理想の喫茶店不動の一位と言ってもいい。期間限定のベルガモット・マスカルポーネ・栗きんとんケーキを食べに。それとここはゴルゴンゾーラを使ったケーキやシュークリームがあるのもうれしい。ダージリンを無限におかわりしながらスマホでぽちぽちと日記を書く。スマホでも意外と2000字くらいかけるものだな、と思う。日記だからだろうか?日記を書き始めてひとつき以上経つが、累計文字数が25000字を超えていて、驚く。なんとか小説を書きたいと思ってコミティアや文学フリマに申し込んでそのたび決死の思いで1万字から2万字書いているのとは大違いだ。ほんとうはむいていないのかもしれない。あまり求められてもいないようだ。それでも書く。つらくくるしいが、フィクションを作るのは、やっぱりたのしい。ものすごく頭を使う。そうしてそれまで思ってもいなかったところに連れていってくれる気がするのだ。
 銀座ウエストのあとは銀座三越で開催されていた催事のスコーンパーティに寄ってスコーンとキャロットケーキを買って帰ろうかと思っていたのだけれど、よくばってケーキを2つたいらげて満足していたので、寄らずに帰る。帰り道、裏張りを頼んでいた靴を回収して、ついでに花を買ってしまう。チューリップ。今年はもう2月になろうというのに、まだあまり種類が出ていない。わたしが好きなチューリップは一重咲きのもの。八重咲きやパーロット咲きは好きではない。フリンジ咲きもあんまり。色は、単色なら白やオレンジが好き。一番好きな色は、グラデーションになっているアプリコット。ピンクや赤のグラデーションも好きだ。紫だけは、チューリップだったとしてもあんまり好きではない。ちょっと強すぎる。
 帰宅して、スーツケースにかぶせるカバーを作ることにする。部屋を飾ったり家具を選んだりするのが好きなのだけれど、何もしていなかった玄関と廊下に手を付けはじめたのだ。それで、玄関に置きっぱなしにしているネイビーのスーツケースが目立っていたので、カバーを作ろうと思ったのだ。ちょうど腰窓からから外したカーテンがあったので、それを使うことにする。立方体を作るだけなので簡単だが、一級遮光カーテンだったので、切れはしから黒い繊維がたくさんほつれて出てきてたいへんだった。切り出しただけで疲れてその日はねむってしまう。

 23日の火曜日は通院日。カウンセリングの日だ。食器を洗ったり掃除機をかけたりしているうちに午前中が終わる。漫画アプリのゼブラックで『アンデッドアンラック』が無料公開されているのでぽちぽち読む。アニメを見ておもしろいなと思っていたのだけど、漫画だと戦闘時の動きがよくわからないなあと思う。わたしがそういうのを想像するのが苦手なだけだと思うけれど。そういう漫画がわたしにはいくつかあって、だいたいアニメ化のおかげで楽しめるようになっている。『宝石の国』とか『ワールドトリガー』とかもアニメの動きがすごく好きで、それで漫画も読めるようになった。
 病院は、電車を使えば片道30分だけれど、徒歩でも40分くらいなので、定期券も切れたし、歩いていくようにしている。このまえそうやって歩いて帰ったら、からだは動かしてぽかぽかなのだけれど、耳だけ冷えてちぎれそうに痛くなったので、みみあてを買っていた。白いふわふわしたやつ。中高生の時以来のみみあて。雪が降る前の秋口に自転車で通学していると同じように耳がちぎれるように冷えたのだ。
 ラジオを聴きながらてくてく歩いて病院につき、カウンセリング。さっそくKさんに「いいとかわるいとかない」というのが苦手だ、どういう意味なのか、と訊く。その話の途中で先週人事課と話していやな気持ちになったことを話す。ひととおり話したあと、それを出来事と考え、感情にわけてワークシートに書き出す。「考え」の欄に、「・じゃあわたしが悪いってこと!?」と書いた。するとKさんが言う。「後輩のひとも悪くないところがある、と言われてそういう風に感じたんですね」「考え方の癖のひとつに、0か100かのどっちかしかないと思ってしまうのがあるのかもしれないですね。それで、後輩が悪くない=0なら、自分が100悪いのか?と思ってしまうのかもしれません」認知のゆがみやバイアスについて書かれた記事や本でよくみるやつだ。もちろん知っている。自分がそうかもしれないと思ったこともある。「そういうところがあるなって前から思っていました」とあいづちをうつとKさんが続けて言った。「何か言われて、不満だったりむかっとしたりすると同時に、0-100思考でじゃあ自分が悪いのか?と思うと、そこに葛藤が生まれるわけですよね。不満だけど、自分が悪いとも思う。葛藤がある状態は、一般的に、人間にとってストレスがかかりやすい状態なので、そういう思考の癖があることを意識してみるところからやってみましょう」葛藤。それで腑に落ちる。0-100思考自体が悪いのではなく、場合によっては、それが相反するふたつの感情をもたらし葛藤状態に陥るから、避けたほうがいい場合がある、ということなのだ、とわかる。
 行間を埋め続けることが、わかるということで、生きているということだ、と思う。わたしにとって。
 今日やったみたいなことを、日常生活を過ごす中でもやってみてください、と言われる。宿題みたいだ。あれもこれも、概念自体は真新しくとも何ともないのに、それを自分のこの文脈に当てはめて話すことが、こんなに未知で、刺激的なことだとは、知らなかった。
 ストレスがかからないやり方を訓練する。訓練している、と思うと学生の頃の気分になる。わたしはまじめな学生だったな、と思い出す。目標が決まっていると安心する。できる、と思う。目標は定規のようだ。決まった二点を結ぶ直線は一本しかないのだから。ストレスのかからないやり方。思考の癖。枠組み。自分がここちよくあるために、認知がゆがんでいるように見えた人たちのことが頭をよぎる。あるべき姿。理想。そのために否定しなければならないと思う事柄。自分にストレスがかからないようにするために、見過ごしてもいいのか?理想通りではないことを。わたしもあの人たちのようになるのか?だんだん、自分がいま、拒絶している、ということが意識できるようになっている。気がする。受け入れがたい、と感じている自分がいて、堂々巡りを始めそうになっている、のがわかる。目標。「ストレスがかからないやり方を訓練する」。線を引きなおす。方向を変える。
 わたしは反省することはあっても後悔することはない。どんなことも。どんなに考えても、当時の自分のしたことはその時の自分にできる精一杯のことだったと、断言できる。だから耐えられずに逃げて休職したことも後悔していない。しようがない。それ以外できなかった。そしてわかる。あるべき姿を実現するためには倒れたらいけないのだ。そもそも。当たり前だが。逃げるまでそれをわからなかった。
 カウンセリング後の診察はいつも通り10分もない。よくなっていると言うとうれしそうにする先生。死ぬことを考えなくなったなと気づく。抗うつ薬は、寛解後半年くらいは飲み続けるとのこと。とんでもないことになったものだなあ、といまさら、思った。
 帰宅後は玄関を飾る。鏡とハンガーフック、額縁をつけた。

 23日、今日、水曜日はのんびり。午前中どうしても眠くてひさしぶりに2時間くらい昼寝をした。昼にキャベツとベーコンのサンドイッチを作って食べる。玄関におくマットをあれこれ悩んでいるうちに、3種類もしきものを買ってしまった。さいきんぽんぽんお金を遣っている。家を買いたいとずっと思っているが、コロナ禍後、東京の不動産価格はとんでもないことになっていて、半ばあきらめている。この部屋が気に入っていて、ぬいものをするのにも不便がないので、しばらくここで暮らそうと思っているのもある。そうするとほんとうにお金の使い道がないのだ。と、ちょっとした言い訳。
 午後3時くらいから裁断して放置していたスーツケースカバーを縫い上げる。直線だけなので楽なはずなのに、縫い合わせる辺を数回間違えて、糸をほどくのに時間がかかる。糸くずだらけ。
 あいま、ふと思い出したいやなことなどをノートに書きつけた。出来事、考え、感情、身体反応、行動……。Kさんに見せると思うと、出来事として整理するのにも頭を使う。どうやったら簡潔に内容が伝わるだろうかと考えてこねくり回しているうちに、その出来事と距離が取れていくので不思議だ。何事も、実際にやってみるとほんとうにいろんなことに気づくものだ。

 あしたはキッチンに置く引き出しが届く。ほんとうは先週届いていたんだけれど、配達中に落下したのか傷があったので交換を依頼していたものだ。組み立ててものを片付けるのが楽しみ。まだまだこの部屋には住むつもりなので、もっとすてきで便利にしていきたいと、今は考えている。

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