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毒親からの昼逃げ記録⑤≪母の日に書いた決別の手紙編≫

毒母から昼逃げをして一年が経った。
私達一家はしばらく義実家に住んでいたが、いろいろあって実家に戻ることになった。ただし、毒母のいなくなった家に。
祖母が毒母と話し合い、どう思ったか分からないが毒母が家を出て行くことになったのだ。
それは私にとっては初めて親らしい事をしてくれたと思う行動だった。
後日恩師に話したところ「それは理屈では考えられない事だ。お母さんはきっとあなたの事を本当は愛していたんだよ。お母さんのあなたへの最後の愛情だったんだね」と言われた。
確かにそうかもしれない。ほんの1%でもあったのかもしれない。愛情というかそれと同じ類の強い執着は感じていたから。
んー、でも先生。もし本当に少しでも愛情があったなら、家を出て行った後に「旦那くんが入院した時に(姑に怒られて)渡したお金を引っ越し費用として返せ」とか「今後家賃だと思って母名義の土地の固定資産税のお金をよこせ」とか言わないと思うんですよねー☆
うーん、愛情ってむずかしいなぁー。先生、私にはよく分かりません。

そんなわけで毒母は出て行ったわけですが、私は最後に手紙を渡そうと思って祖母に託していた。
もう言葉を交わす事もないだろうから、名著『毒になる親』に倣い「決別の手紙」というものを出そうと思ったのだ。

が。毒母はその手紙を受け取ることなく出て行ったそうだ。
祖母「私も出て行く日に気がついたらいなくなってて渡せなかった」とのこと。読んでも理解するとは思えないし渡せなくて良かった。それよりも、書く事自体が大事なんだという事に気がついた。毒母のためじゃなく自分のためにこの手紙を書いて良かった。憎み続けた相手にぶつけるためのものではなく、過去の愛されなかった自分との決別、未来にむかって歩いていくための手紙だと書いてから気がついたから。

手紙の中で私はこう書いていた。
「私は今までは母に大事にされたい、認められたいという気持ちがありました。でももうその気持ちを手放そうと思いました。私は子どもとしての人生を悩むより、子どもたちの母親としての人生を生きていかなければならない。悩んでいるヒマはないと気がつきました」 

書いてから、そうだったんだ!と気がついた。
自分の子どもとしての人生は終わりにする。
義母が言っていた「過去の事は忘れなさい」という言葉はこういう意味だったのかもと思った。

手紙には義母の言葉も書いてあった。
「ちよちゃん、お母さんの事はもう忘れて。今の幸せを手放しちゃいけない。ちよちゃんはこの家になくてはならない存在だから」
そうか、おかあさんこんな事言ってくれたんだ。
自分を苦しめる家族より、今いる家族を大事にしていこう。

そんなわけで、私は今とても平穏に暮らしている。
毒母がいなくなって毒になる人がいないと、とても安心した生活が送れると知った。
もう誰も私を怒る人はいない。監視する人はいない。
それがどれだけ自由で幸せでな事か。私は30歳過ぎてやっと知ったのだ。
もっと若い時に絶縁できていれば…という思いもあるけれど、まだ人生長いからこれから自分の人生を楽しめばいいと思う。

まぁ。
絶縁って言っても法的に縁が切れたわけじゃないし、私の留守中ちょいちょい家に来ては祖母に「遺産の事とか老後の事とか何でも相談してね☆」とか言ってるらしいからぁー!養子縁組してるもんね!30年以上ギスギスした嫁姑関係だったのにね!よく言うわ!
まだまだ苦労はあるかもしれないけど、家族と一緒に乗り越えていこうと思います。
他にもネタはてんこもりなので別の機会にでも。
次はもう少し楽しく明るくかけたらいいな。