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【映画感想】超大作!!

先週、一気に2つの超大作映画を見てきました。1週間で3時間2つ。
我ながらすごいなと感心してしまいます。

さて、3時間もの映画を見るにはそれなりの覚悟とやる気が必要なわけですけれど、私の場合すぐに予約をして無理やりにでも映画に行く状況を作りました。
そうでもしないと動きませんからね。

正直3時間ある映画はテレビやタブレットでは見ませんよね。
劇場に足を運ぶからこそ見れるところありますよね。
今回の記事は超大作映画2本、一気に感想、考察書いて行こうと思います。
ネタバレありなので、まだこれから見る予定だよって方はそっと記事を閉じくださいね。

ボーはおそれている

あらすじ

『ヘレディタリー』や『ミッドサマー』で知られるアリ・アスター監督の新作。
ちなみに私は『ミッドサマー』は視聴済みです。
頭おかしい監督の新作(褒めてるつもり)ということもあり、怖いもの見たさで足を運びました。
一応ホラーコメディというジャンルに含まれるそう。
ホラーとコメディって同居できるんですね。知らなかった。

感想

えーどうしよー記憶から消したい…とはギリならない映画でした。
『ミッドサマー』はちょっと忘れたいなーと思いましたが、今回はなんとかいけた気がします。

この監督撮るのが上手くて、惹き込まれるんですが、それゆえ逃げたくもなるんですよね。
撮り方がホラーなのに、これコメディって言うんですから何が何だか。
コメディなんですよ、これ。信じられます?

率直な感想は、なんだこれ。
終始意味がわからないし、わからないから怖いしで内容どころじゃなかったです。
それでもさすが、面白いんですよね。
恐ろしいことになんだか笑えちゃうし、ちゃんと面白いしで逆に最悪。
つまらなければいいのに、面白いから途中でやめられなくて、最後まで見て、気分が落ちる。
でも何を見せられてるの?ってなるからなんで面白いと思うかもわからない。

不思議な体験アドベンチャーに参加しているんだ、と割と序盤から思い込んだら意外と楽しくなってきて、最後の方は急にホラー味増して怒涛の展開でジェットコースター気分。あー、手を挙げて叫びたい!

ただ言えるのは、家のテレビやタブレットで見てたら最後まで見ないタイプの映画ですし、もう1回見たいかと問われれば、ノーと答えます。
もう公開が終わってしまったので、皆さんは高校の視聴覚室とかで見てください。
恐れずに不法侵入しましょう!(違法なのでやめてくださいね)

てか、この監督フルチンとセックス好きなのかしら。

考察

ほんと簡単に考察を。
いくつか気になったシーンを拾っていくイメージです。
1度しか見ていないので間違っているところもあるでしょうが、優しい目で読んでやってください。

序盤、ボーが轢かれた後。女性に助けられます。
その女性の家族が興味深かったので語らせてください。

この女性の夫は外科医で、息子は戦死、娘が1人います。
両親は息子の部屋をそのままに保存し、誰にも入らせないようにしています。それだけで嫌な匂いがプンプンしてきますね。
そして、この家族薬漬けなんですね。おそらく。
息子を亡くしたことでバランスを取れなくなった家族は歪ながら、薬やある戦争の英雄の介護をしながらなんとか保てている状態です。

これ娘からしたら地獄ですよ。
愛されていないと感じるのも無理はありません。

父は自分の後継者のような息子を亡しています。
母は愛する息子を。
母親の溺愛の話を聞いたことはありますか?
女性特有なのかもしれませんが、母親という存在は娘に厳しく当たり、息子を溺愛します。
そういったエピソードを聞いたことがあります。
それゆえ、息子が亡くなるというのは母にとって大きな損失というわけで、彼女はボーに甲斐甲斐しく世話を焼きますが、それは彼を息子に見立てているからではないでしょうか。
しかし、娘が自殺行為を行った時、彼女はボーのせいだと彼を責め、英雄に彼を殺させようとします。
彼女は娘を愛していたのです。
それが言動に出ていなかったのが、彼女の悪い点であり、娘を救えなかった要因というわけですね。

どこか母親という存在を非難しているようにも映りました。

次にかなり飛んでセックスシーン。
長かったけど、まあここは『ミッドサマー』ほど地獄ではありませんでしたね。

ここで言及するのは腹上死について。
ボーの父は母とセックスした時に死んだのだと言い聞かせられました。
そしてそれはボーも同じだと。
つまり、セックスをすると死ぬ遺伝がボーにはある訳ですね。
見ていけばわかりますが、これはボーが女性との関係を持つことに嫌悪感を抱いている母による嘘のようです。
上記にも書いた母による息子への異常な愛です。もしかしたら、ボーを異性として見ているのかもしれません。

実際にセックスをするボーは死を恐れながらも快感を覚え、楽しそうです。
そしてそのまま………………………生きてます。
なぜか女性のほうが死ぬという意味のわからない状況に。
観客、みなパニック。

ここで私の考え。
実は女性の死はミスリードで、おそらくこの時死んだのはボーであり、最後に見た瞬間の彼女で止まっているのだと予想。
つまり、その後繰り広げられる母とのシーンは死後の世界ということです。
セックスで死ぬのも事実だったとしましょう。ややこしい。

え?母は死んでないのではないか、だと?
それ自体がボーの勘違いなのかもしれません。
だって、毎年母に同じものを誕生日プレゼントとして送るような子が母の手を覚えている訳がないでしょう。
あれはれっきとした母の遺体なのだと思います。

オッペンハイマー

あらすじ

クリストファー・ノーラン監督最新作!
何がなんでも見に行ってやるぞ、と気合を入れ公開翌日に足を運びました。
主演にはキリアン・マーフィ、他超豪華俳優集結とテンションの上がる配役ですね。
個人的にはデイン・デハーンという男が好きなので、出演していると知った時はスマホを投げ捨てました。喜び過ぎ。

感想

内容についてはオッペンハイマーという人間に焦点を当てているため、難解ということではなく、話自体はわかりやすいのですが、ここはさすがノーラン監督。
構成が複雑で話を追うのが難しい。
時系列バラバラは白黒演出も相まって『メメント』を思い起こさせ、しかし『メメント』の時とは明らかに異なった白黒の使い方に混乱をしました。
いっそ同じならわかりやすいのに、と思わなくもありませんが、それでは二番煎じですよね。わかってます。

しかし、その複雑さがこの物語がフィクションたる所以だと思っています。
時系列順にしてしまうと、それはドキュメンタリーとなんら変わらなくなってしまう可能性があるのです。
いや、もちろん映画での実話の扱い方はドキュメンタリーとは大きく異なっていますが、この『オッペンハイマー』という映画は実話を超えフィクションの域にあります。
ノーラン監督は実話を上手く物語、ひいては映画へと昇華させている訳です。
それと同時に、1人の実在した人物の生涯を描いているのでフィクションに留まらず、現在への架け橋的な部分も見られます。

オッペンハイマーも原爆もナチスも大統領も科学者もアメリカも日本も、実在ですからね。

構成が複雑なのである程度オッペンハイマーについて調べておくのがいい、とはよく聞きましたが、私はあまり前情報を入れずに映画を鑑賞しましたが、それなりに楽しむことができました。
それでもオッペンハイマー周辺の人物について調べておいて損はないだろうな、とも思いました。
何せ、登場人物が多いだけでなく、白黒パートは特に何が起こっているのか掴みずらいのですから、オッペンハイマーの人物史を軽く触れておくだけでもわかりやすくなるのではないでしょうか。
私からのこれから見る人へのアドバイスです。

日本では大きくひとつのことが理由に公開が渋られたと言っても過言ではありません。
それは原爆の描写です。

そもそもオッペンハイマーは後に原爆へは否定的な見方をしますので、映画自体もその視点で描かれています。
しかし、トリニティ実験では科学者としてのオッペンハイマーが映されていますので、知的好奇心により動かされています。
大義のためであるものの、大義を失った後大義を新しく作ってしまうのです。
つまり、ナチスから日本へ。
新しい発明品を作る理由を生み出しているのです。

さて、原爆の描写について。
皆さん異なる意見があるでしょう。
しかしおそらく、大方の人はこう言うのではないでしょうか。「物足りない」と。
うん、確かに物足りないのかもしれません。
映画の中では原爆による死は描かれず、被害は数字と言葉のみで、悲惨さは少しもわかりません。
具体的な死体も街の様子も私たち観客には提示されません。
私たち被爆国の人間からすると不満な点に思えるかもしれません。

しかし、この描き方は『ダンケルク』でも伺えますね。
『ダンケルク』ではドイツ兵が一切登場しません。相手が見えないのです。
今回の映画でも相手である日本やナチスは存在しないのです。いや、存在はしていますが、言葉のままに「いない」のです。

以前『ダンケルク』についてX(旧Twitter)で呟いてますが、戦争というものは歴史的な視点ではない限り一面的ですから、ある意味で「正解」な描き方をしていますね。

そして、今回の映画でも同じです。
「国家に忠実であるオッペンハイマー博士」ですので、アメリカ視点、オッペンハイマー視点でストーリーが進むのも頷けるはずです。
オッペンハイマーから見れば、被爆国である日本は遠い国ですからね。
心を痛めたのだとしても、それはまるでフィクションのように映ったのではないでしょうか。

映画内でも言われていますが彼を「歴史が裁く」のです。私たちではなく歴史が。
アメリカ視点で描かれたこの映画はオッペンハイマーの弁護です。

少しだけ想像してください。
裁判官は歴史です。
弁護人はこの映画もといアメリカ人。そして検事は私たち日本人です。
映画における原爆描写が不満に思うのも当然です。
私たち日本人は被害者寄り添い、アメリカ人は加害者に寄り添う映画しか作れません。
そして、この映画はまさに加害者の1人の生涯を物語っています。当然彼は原爆が落とされた日アメリカにいました。
実際にあの黒煙と人々と街を見ていないのです。
そして彼の中には言葉としての「日本人」しか存在していないのです。
被害者を知らないのです。
そして、それは今のアメリカ人にも言えるし、なんなら今の日本人にも言えるかもしれません。
抽象的で、想像上の「被害者」しか知りません。

それでも、私たち日本人はアメリカ人よりほんの少しかもしれないけれど、原爆の悲惨さを知っているし、アメリカ人は日本人よりほんの少しかもしれないけれど、オッペンハイマーという偉大な人物を知っています。

私たちはオッペンハイマーの素晴らしさをアメリカ人より知らないし、アメリカ人は私たちより原爆の残酷さを知りません。

つまり、私たちにこの映画における原爆描写の不満をぶつけることは無意味なのです。
なぜなら、彼らは弁護者ですから。
そして、私たちが彼らに原爆を悲惨さを知らしめるために映画や本を描き、彼らはオッペンハイマーの生涯を私たちに知らしめるためにこの映画や原作の本が存在するわけです。
要は、どっちもどっち(状況だけに目を向ければ)。
私たちは検事で、この映画は弁護人により作られました。

もちろん、私は検察官ですので原爆に対するアプローチに不満がないとは言い切れません。
でもその不満は私が検察官だからであって、もし私の生まれがアメリカであるなら違っていたかもしれません。

まあ、今回は言及を避けましょう。
戦争責任や原爆についての議論は一生堂々巡り。多分彼らには完璧な理解は難しいだろうと思いますし、こればかりは映画ひとつでなんとかなる問題ではありません。

さらに悲しいことに、裁判官である歴史は必ずしも中立な立場にいるとは限りません。
誰が歴史を書くのかによります。
嘆く必要はないとは思いますが。

さいごに

なんでこの2つの映画を同時にレビューしているかというと、気分としか言いようがないのですが、まあこんなことしているのは私くらいなので目新しいものを見たなーっと思ってくれればいいのではないのでしょうか。

『ボーはおそれている』については公開は終えてしまったので機会があれば、という感じですが、『オッペンハイマー』はまだまだ公開したばかりですので、是非とも見てもらいたい作品です。
そして改めて海外の方との原爆への見方の齟齬を感じてください。
某作品における炎上しかり、監督や役者の発言しかりです。

私個人としては圧倒的に『オッペンハイマー』をおすすめしますが、不思議体験をみなさんにしてもらいたい気持ちもあるのでボーも…。

映画は最高のアトラクションで、非現実体験です。
そして、あの劇場の空気こそそれらを倍増させてくれます。
全日本人、映画を見ろ!!!

以上です。

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