26.美術鑑賞〈足立美術館〉
妹が美術を専攻していることもあり、5〜6年ほど前から家族で美術館巡りをするようになった。
今日は2度目の足立美術館。
横山大観、魯山人…を始めとする大家の作品がワンサカ飾られている。
創設者"足立全康"
島根県生まれ。
学校では劣等生だったが、絵は度々飾られることも。
その後、木炭運搬の奉公を。
運搬をしながら炭の小売りを始め、女中の手伝いをしながら、仕組みを学び、3ヶ月で独立。
事業は成功するものの、
多方面に事業を展開しすぎて、失敗。
バッタ屋と手を組み、持ち直す。
身内の不幸が2年ごとに続いたため、姓名診断の助言を受け、義元から全康へと改名。
横山大観の絵を見た時、
都会にいながら心がスーッとするような感動があり、
「必ず大観を買う」と毎日自転車で絵を見にきていたそうな。
戦後は大阪で繊維問屋、不動産関係などの事業のかたわら、幼少の頃より興味を持っていた日本画を蒐集して、いつしか美術品のコレクターとして知られるように。
71歳の時、郷土への恩返しと島根県の文化発展の一助になればという思いで、財団法人足立美術館を創設。
(美術館や博物館で年表見るの…
どんなに成功して名を馳せた人でも、裏でどのような努力・苦労をしていたか。それを感じるのが好きだ。)
日本画の巨匠"横山大観"
▼晩年の作品
スッと広がる雄大な富士山。じんわりグラデーション、構図、全てが素晴らしい…。
▼ヒトラーに寄贈した『旭日霊峰』
72歳の横山大観は、ドイツの総統ヒトラーに富士山を描いた『旭日霊峰』を寄贈するなど、美術を通して戦争翼賛に国民を動員する「彩管報国」の指導的役割を担っていた。
(「欲しがりません、勝つまでは」のイメージが強かったので、この時代においても絵画を政府が押し出していたとは意外に思った。勿論、総力戦へ向けて国威を内外に示すため、とはいえ、新しい発見。横山大観とヒトラーの意外な繋がりも。)
▼初期作品『無我』
**自然との対話を極めた"榊原紫峰" **
▼西洋絵画の影響も見られる『青梅』
▼晩年行き着いたのは水墨画『梅花群禽』
鑑賞を終えて
私は絵が下手だ。美術も図工も好きではなかったし、成績も良くなかった。
一方、妹は小さい頃から絵が大好きで、高校も大学も芸術コースに進んでいる。
そんな妹の学校から出される課題から始まった、我が家の美術鑑賞。
絵は得意ではないものの、私は観るのは好きだ。
心にビビッとくる作品や、作者の努力や工夫を知るのが好きだ。
段々と学校で美術に関する知識を学んでいる妹による「絵の凄さ解説」を聞くと、更に一つ一つの絵をじっくりと見たい気持ちが高まる。
あぁ、今日も良い1日だった。描けなくとも観るだけで心に栄養が行き渡るような…そんな気分。
(そして、今日が50記事目の更新だった。おめでとう、私。よくがんばったね。)
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