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[シロクマ文芸部] チョコレイトのようにとけだしてさ

チョコレイトのようにとけだしてさ
君って海みたいだねって波になる

・・・

これは私の友人のfamilyslowの歌の始まりです。
今週の「シロクマ文芸部」のお題「チョコレート」を見て、真っ先にこの歌が思い浮かんだのでした。

聞くと体の力が抜けちゃう魔法のようなハスキーボイス。
ふわっとしてどこまでも優しい。でも何となくアンバランスで不安定な詩の世界。ゴールはないけど着地しちゃうみたいな。そういう世界。

彼は今、声が出せなくなってしまったんだけど、こうして私たちは彼の歌をいつでも聞くことができて、歌ってすごいなって思います。

というわけで、今日はこの歌から着想を得た物語を書いてみたいと思います。

ぜひ、familyslowの音楽と共にお楽しみください。


スロウビート

「それってウソみたいだね」

 と彼が言った。いつものように公園のブランコの周りにある柵の上を器用にバランスを取って歩きながら。

 そっちの方がウソみたいだわ…と私はゆっくりブランコを漕ぎながら思ったけれど声には出さなかった。
 それでも彼には聞こえてしまったのかもしれない。

 その証拠にほら、彼はふふふと笑っている。
 何もかも見透かされているようで少し腹が立った。

「ウソじゃないよ、本当だよ。本当に山本さんちのおじさんが緑のドロドロになって溶けちゃったんだって」

 私がさっきから話しているのは、近所で話題の噂話だ。
 身の回りでおかしなことがあったら教えてと言ったのは彼じゃないか。それはこういう話のことじゃないのか?

「とっても気になる話だね」

 言葉とは裏腹にあまり興味がなさそうな口調で言いながら、彼はトントントンとブランコの周りの柵の上を歩き回った。
 私はそんな彼を目で追いながら、本当にこの人はいったい誰なんだろうと考えていた。

 私が彼と会ったのはまだ冬が始まったばかりのころ。
 学校で失敗して落ち込んで、独り公園のブランコでぼーっとしていた時だった。

「こんなところで何してるの?」

 急に上から声がして見上げると、ブランコの上の方に彼が座っていたんだ。
 上って、ブランコの鎖がぶら下がってる、あの上のところだよ?

 私は思わず「あぶないよ!」と叫んだ。
 そんなところで何してるの?は、こっちのセリフだよ、と私は思った。

 すると、彼はあははと笑ってヒョイっとそこから飛び降りると、見事に地面に着地したのだった。

 その時から私の中から何かが流れ始めた。
 何かが始まるようなそんな予感。

 それは今でもずっと続いている。

「緑のドロドロか。それはとっても気になるなぁ」

 相変わらず興味がなさそうな声でまだ言っている。
 気のないようでいて、気があるような、どっちともとれる態度。

 それが彼だった。

 彼はピョンピョンとリズムをとりジャンプすると、地面に飛び降りて、「じゃあ、見て来るね」と言って行ってしまった。

 私はブランコに取り残されて、ゆっくりビートを刻む自分の心臓の音をただ聞いていた。
 いつもそう。私は置いて行かれるんだ。

 それから数日、彼の姿を見かけなかった。
 私は毎日公園に様子を見にった。

 そして、この冬一番の冷え込みとなった五日目の夕方。彼がブランコに座ってゆっくりと漕いでいるのを発見した。
 いつも柵の上を歩いていたのに、ブランコに乗っているのは初めてみた。

 私は胸騒ぎがして彼の元へと駆け寄った。
 彼は傷だらけだった。あちこち擦りむけて血が出ていた。

 私はびっくりして「どうしたの?」と声をかけた。
 彼は「ひどい目にあったよ」と言った。よく見ると、右手の傷が一番酷いようだった。
 緑のドロッとしたものが付着して皮膚がえぐれていた。それから酷い臭いだ。緑のドロドロが臭いのだ。

 私が彼の傷に触ろうとすると、彼は怖い声で「触っちゃダメ」と言った。
 彼がそんな声を出したのは初めてだった。

 私はびっくりして手を引っ込めた。

「ごめんね…」

 と彼が言った。とっても元気がなかった。
 彼の吐く息が白く見えた。

 私は持っていたハンカチを水道で濡らして彼に渡した。

「これ、あげるから使って」

 私は言った。何となく緑のドロドロを拭いたらこのハンカチはダメになるとわかっていた。
 そのせいで彼はハンカチを使ってくれないんじゃないかと思って先に言ったのだった。

 彼は「ありがとう」と言ってハンカチを受け取ってくれた。そして手の傷を慎重に拭き始めた。
 とても痛そうだった。

 私は何もできなくて黙ってそれを見ていた。

「万能な僕ではあるんだけど…今回は失敗しちゃったな…」

 と明るい声で彼は言った。空回りしている声だった。

 私がまだ黙ったままだったので、「笑えないことだね」と笑いながら彼は言った。「あり得ないことだよ」と。

 私は急に想いが溢れ出してしまって、ブランコに座る彼をぎゅっと抱きしめた。
 ハッと彼が息を吸い込む音がした。しばらくそうして私は彼を抱きしめていた。彼も黙って私に抱かれていた。

 そっと彼から離れると、急に恥ずかしくなってしまって、私は何も言わないまま、走って家まで帰ってしまった。
 彼の顔を見れなかった。

 家に着くと、お姉ちゃんがチョコレイトを作っていた。

 あ、そうか明日はバレンタインだ、と私は思った。

「そこにあるやつ、形失敗したから食べていいよ」

 とお姉ちゃんが言った。

 私は失敗したチョコレイトをクッキングペーパーに包むと、それを持って自分の部屋に戻った。
 しばらく考えてから、チョコレイトを封筒に入れて引き出しにしまった。

 翌日。私はチョコレイトを持って公園に行った。
 遠目に彼がブランコの周りの柵の上でいつものように飛び跳ねているのが見えた。私は焦ってチョコレイトの入った封筒をお腹に隠した。

 自分の心臓のビートがドクンドクンと聞こえた。

 何事もなかったかのように極力振る舞いながら、私はブランコに近寄った。
 彼はすっかり普段どおりだった。

 昨日の酷い傷もすっかり治っている様子だった。
 脅威的な回復力。人間とは思えない。…いや、そもそも彼は人間なのか? この人は誰なんだろうか…。

 …そんなことは今はどうでもよかった。

 私はチョコレイトのことが切り出せず、ずっとお腹に隠したままで、いつものようにブランコに座った。

 最初に口を開いたのは彼だった。

「昨日は急に帰ってどうしたの? お腹でもいたくなったの?」

 相変わらず興味がなさそうな口調で彼が言った。本当にデリカシーがない奴…。
 私ひとりがソワソワしていることに腹が立ってしまって、何だかいろいろどうでもよくなってしまった。

 私はお腹からチョコレイトの入った封筒を取り出すと「食べる?」と彼の方へと突き出した。

 彼は「何?」と言いながら柵から飛び降りると、私の隣のブランコに座った。

「チョコレイトだよ」

 それを聞くと、彼はわあと顔を輝かせた。

 …お姉ちゃんが失敗したやつだけどね。と私は心の中で付け加えた。

「わーいチョコレイトだ!」

 彼は嬉しそうだった。
 私の心の声が聞こえたのかどうかはわからないが、本当に心から嬉しそうだった。

 チョコレイトの入った封筒を膝の上に乗せると、彼はとても大事そうに封筒を広げて開いた。
 クッキングペーパーに包まれたチョコレイトは、とけて一塊になっていた。

「あ…」

 と思わず声が出てしまった。お腹にずっと入れていたからだ…。
 私は最初からこういうチョコだったんだというフリを貫く覚悟を決めた。

「すごいね、海みたいだね。チョコレイトの海だね」

 彼は嬉しそうだった。

 それならいいや。と私は思った。

 彼が嬉しそうなら私はいいんだ。

(おしまい)


小牧幸助さんの「シロクマ文芸部」に参加します。


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