[コラム] パングラムと折句
さっき投稿したあいうえお俳句
今回は、頭とお尻を拾うようにしてみたよ。
どうかな。
このように、句を途中で改行して頭の文字を読ませたりするのを「折句」と言う。
で、今回私がやったように頭とお尻の文字を読ませるのを「沓冠(くつかぶり)」と言う。
昔の人たちはすごいのを作ってるので、興味ある人はぜひ調べて見てね。
今日はそんな中でも、恐らく世界最高峰ではないかと思われる折り句を紹介したいと思う。
これ、なんだかわかるだろうか。
そう、いろは歌である。
「いろはにほへと」でお馴染みのこのいろは歌だけども、これはとんでない歌なのである。
まず、これは、意味のある歌にすること自体が激ムズのパングラムであることを忘れてはならない。
パングラムというのは、全てのアルファベットやひらがなを1回ずつ使って作る文章のことである。
調べたら解るけど、これ、やろうと思ってもかろうじて意味のある文章にするだけで精一杯なんだ。
しかも、だいたいめちゃシュールな文章になってしまう。
ってゆうか、そもそも意味のある文章にするなんて凡人にはできん。
それがだ。
いろは歌を見てほしい。
意味があるだけではない。これはなんと仏教の基本的理念が詠みこまれてるのだ。
深い…!!! 深すぎる…!!!!
なんなのこれ。
すごすぎて怖い。
これがちゃんと意味のある歌だと知ったのは高校生のころだったな。
それまでは何の意味もない呪文みたいなものかと思っていた。
「イロハ」 にこんな意味があったんだって、初めて知ったときには全身がふるえた記憶。
それにしても、なぜ、「イロハ」 は知っていたのに、私はこれが歌だって知らなかったのだろうか。
その訳はたぶん、『いろは歌』 の不思議な書き方によるものと思われる。
なぜか 『いろは歌』 は意味の区切りではなく、7文字で区切って書かれる。
昔からそうなのだ。
なぜなのか。これじゃあ、意味がさっぱりわからず、覚えにくい。
それは、こうやって書いたときにだけ成立する暗号があるから、とういう説がある。
『いろは歌』 を7文字で区切って一番最後の文字を拾うと何が見えるか。
頭は拾わず、お尻を拾うのよ。
とかなくてしす → 咎(とが)無くて死す
「咎」とは、「お咎め」。罪のことだ。
罪なくて死す
なんだかサスペンスの香りがしてきたよ。『いろは歌』 が誰かの無罪を主張するための暗号だったとしたら???
こうして考えると、『いろは歌』 の作者不明になってしまった理由も、どんなときに書いたものなのかわからなくなってしまった理由がなんとなく見えてきたり。
誰かが無実の罪で殺された。
その人物の無実を信じる人はどうにか真実を後世に残したいがあまりに危険である。
だからその事実は暗号に託されて歌となり、口から口へと伝わっていった。
が、その秘密があまりに厳重に隠されたために、時とともに真の意味が失われしまった。
あとには歌だけが残った。
忘れられてしまった歴史は二度と取り戻すことはできない。
天地がひっくり返るような大発見でもない限り、私たちはこの不思議な歌が生まれた理由をあれこれ想像するしかない。
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