[コラム] 知る人ぞ知る小貫蓬窓という俳人
小貫蓬窓という俳人を知っているだろうか。
いや、知らんだろう…だってそれは、何を隠そう、私の曾祖父なのだから…。
◎俳人 小貫蓬窓について
私のひい爺さんは俳句を詠む人だった。
それは小さいころからずっと聞かされていた。
が、なぜかそのことをちょいちょい忘れる私。
そうだった、私のひい爺さんは俳人だった。
田舎の、ましてや農家なので、俳句を生業としていたわけではないかとは思うが、趣味の域を大幅に出てる感じで詠んでいたのだろうと、親族の話から想像している。
なお、爺さんの俳号「蓬窓」は「貧しい粗末な家」って意味らしい。
ひい爺さんは、私が生まれる前にこの世を去った。
私は入れ替わりでこの世にやってきた。
長く伸びた白髪と白髭で、まさに仙人のような出で立ちの人だったと伝え聞く。
写真を見たような記憶があるけどぼんやり。
これまでなぜか、私はひい爺さんが詠んだ句を知らなかった。
あとで、詳しく語るけど、爺さんが住んでいた家の状態から、残っていないと勝手に思っていた。
でも今回、俳句大会に関わることになって、俄然興味がわいてきて、私は実家に連絡をしてみた。
◎曾祖父が詠んだ句
そしたら実家からこんな写真が送られて来た。
こ、これは…。
ひい爺さんの直筆の句ではないかっ!!!!
こんなにちゃんと残っていたのか。
言ってよwwww
というわけで、どうでしょうか。
うちの爺さんの句。
この赤丸で囲まれた小さい字はなんじゃろか??
と眺めていて思い当たった。
今で言う「スキ」なんじゃないか??? これ???
句会かなんかに出して「スキ」もらった数なんじゃないか???
違うかかな???
今も昔もやってることは実は同じなのかもしれん。
爺さんの句はこれだけじゃなくてたくさんあるそうなので、こんど実家に帰れたらちゃんとまとめてみようと思う。
私の代でまとめとかないと失われてしまう気がする。
◎家と爺さん
で、何故私が爺さんの句が残っていないと思ったかというと…住んでいた家の状態に原因がある。
その家は、いつ建てられたのか知らないけれど、古い茅葺き屋根の家だった。
私が子供のころには、その家には大叔父(私の父方の婆ちゃんのお兄さん)つまり、ひい爺さんの息子が住んでいた。
とにかくものすごい状態の家だった。
屋根には穴があいていた。そして…だいぶ目を疑う光景だが、その屋根から木も生えていた。
竈で煮炊きしていたために家の中は煤だらけで真っ黒。雨が降り注ぐ部屋の畳はふやけて波打っていた。
家の中…と言ってもこれ完全に外じゃん…という状態だった。。
↑写真が手元にないので私の脳内の光景を描いてみた
このお爺さんは私の大叔父。
ちょっとこれはもう人が住める状態ではなく、危ないからこっちに移れと庭にプレハブ小屋を建てたのだが、この大叔父が超絶頑固な人で、なかなかボロ屋から離れようとしなかった。
そうしてやっとのことで大叔父がプレハブに移住した矢先だった。
本当に文字通り、家はぺしゃんと倒れて崩れてしまったのだ。
人がいなくなった建物が急に廃墟化する不思議なあれあるじゃん。
そう、ギリギリ持ちこたえていた古い茅葺き屋根の家は、大叔父が出て行ったとたんにその霊力を失い、崩壊したのだ。
もちろん、ひい爺さんの時代はここまでボロくなかったとは思うが、こんなになっていた家に残ってると思わないじゃん、ひい爺さんの句なんて~。
◎最後に、小貫蓬窓の代表作を…
ひい爺さんの孫たち、つまり私の父やそのきょうだいたちが、揃って暗唱している句がある。
朝顔やわらし忘れしわらじかな
さて、さて。
私はと言えば…。
みんなの俳句大会「宇宙杯」の投句が始まっているが、句が降りてこない。
まるで降りてこない。
むむむむ…。
じっちゃん、おらに力を…!!!!!
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