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[ショートショート] 綾子と虎丸:1秒の恋

「姫さま〜!姫さま〜」

 家臣たちが右往左往しているのを綾子は木の上から眺めていた。

 …誰も私がこんなところにいるとは思うまい。

 あんな重たい着物を着て婿面談だなんて綾子は真っ平ごめんだった。
 まだまだ自由でいたい。婿くらい自分の間合いで決めたいのだ。

 木の上からバタバタ走る者どもを見ていると、どうやら隠密集も動員されたようだ。無能な若衆たちに見た顔が混ざっていた。

(虎丸か…)

 虎丸は何かと綾子に絡んでくる若手の隠密だった。その態度は主君に対するものではない上に、常に上から目線で馬鹿にしていてけしからん奴なのだった。

 恨みを込めた視線を木の上から向けていると、チラッと虎丸がこちらを見上げたように見えた。

(しまった…)

 場所を移動しようと枝の上で体の向きを変えると、振り向いたすぐ目の前に虎丸がいた。いつの間に木を登ったのか、まるで気配を感じなかった。

「…げ、虎丸…」

「姫さま、みーつけた」

 抵抗する間もなく虎丸に抱えられて綾子は木から下ろされてしまった。

「放せ無礼者!」

 暴れる綾子を難なく抱えて、虎丸はひょいひょいっと塀を伝って走った。
 
「虎丸!お前なら私の気持ちがわかるだろう? 嫌なんだよ、勝手に決められた知らない男と夫婦になるのは!」

 綾子がそう叫ぶと、虎丸は急に方向転換をして屋敷から離れ、裏の丘の方へと向かった。

 そして一本の大きな木の下に到着すると綾子をそっと地面に降ろした。

 そこは綾子と虎丸が初めて会った場所だった。その出会いは最悪なものだったのだが…。

「姫さま、じゃあこのまま俺と逃げちまいますか?」

 虎丸が立膝をついて首を垂れながら言った。それは絶対服従の姿勢だった。
 綾子は意表をつかれて一瞬言われている意味がわからなかったが、すぐに理解し、みるみる腹を立ててしまった。

「な、何を馬鹿なことを言っているの?!何を言っているのかわかっているの?」

「わかってますぜ姫さま。姫さまが求めてる事ってつまりそういう事ですぜ」

 服従の姿勢を崩さずに虎丸が言った。彼が本気なのかからかっているのか綾子にはわからなかった。

 綾子が言葉を返せずに黙っていると虎丸が言葉を続けた。

「姫さまは旦那さまが認めた立派な殿方と夫婦になるべきだ。きっと心から信頼できるお方と出会えるでしょう。でもね、姫さま。姫さまの芯の部分まで相手に渡してはいけません」

 ザザザザと風が木の葉を揺らして言った。
 綾子は虎丸の言っている意味を反芻した。反芻したが今の綾子にはその真意はわからなかった。

「言っている意味がわからない」

「今はわからなくて結構。もしも姫さまが困った時には俺がお迎えにあがりますから」

 虎丸は立膝をついたまま、顔を上げて言った。
 その表情はどこか清々しく、本気で言っているように見えた。

「それはどういう意味?」

「言ったままの意味ですぜ姫さま」

 虎丸は立ち上がりながら言った。そしてニカッと笑った。
 その笑顔に綾子は一瞬心の全てを支配されたかのような気持ちになった。

 だがそんな事をじっくり考える隙も与えられず、虎丸はまたもや綾子を抱え上げると、今度こそ屋敷の方へと走り出した。

 あっとゆうまに綾子は屋敷に連れ戻され、中庭の一番目立つ場所に置かれてしまった。

 すぐさま見つかった綾子は着付けの女たちに囲まれてドヤドヤと部屋に戻される羽目になった。

 虎丸はいつの間にかいなくなっていた。

 腹が立った。綾子は虎丸に腹を立てていた。

 それでその日会った婿候補をあっさりと自分の婿として迎えることにしてしまった。

 その人はおっとりして優しい人だった。

 それからしばらくして虎丸が姿を消したとの噂を聞いた。何でも女と駆け落ちしたらしいとの事だった。

 抜け忍は捕まれば死罪である。

 綾子は腑が煮えたぎるほどに怒っていた。

 いったい、あの服従の姿勢は何だったの?
 やっぱりからかわれただけだったの?! 

 その時の綾子には何もかもが理解不能であった。

 やがて二人が再開し、綾子が事の真相を知るのはそれから十五年後となるのだが、それはまた別のお話、また別の機会に…。

(おしまい)



1秒の恋です!

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