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意味の抜け落ちた世界 瞑想記録2021.9.26-12.12

瞑想記録5回目です。

令和3年9月26日 22:45-23:00 10月こそ内面にひきこもろうと思った
(10月は会社の繁忙期なので、他の用事や他の人との交流を入れないようにしていました)

令和3年9月27日 12:45-13:00 20:45-21:00 23:15-23:20 35分
令和3年9月28日 20:20-20:30 22:40-23:00 30分
令和3年10月4日 20:50-21:10 23:00-23:10 30分
令和3年10月17日 22:15-22:45 30分
令和3年10月18日 22:15-22:35 20分
令和3年10月21日 22:35-22:45 10分
令和3年10月22日 22:50-23:10 20分
令和3年10月31日 22:10-22:20 10分
令和3年11月1日  22:25-22:45 20分
令和3年11月2日  21:55-22:30 35分
令和3年11月4日  22:35-22:45 10分
令和3年11月7日  22:15-22:45 30分
令和3年11月13日 21:35-22:00 25分
令和3年11月18日 21:20-22:00 40分
令和3年11月21日 21:30-22:00 30分
令和3年11月25日 22:20-22:40 20分
令和3年12月1日  22:20-23:00 40分
令和3年12月5日  22:35-23:00 25分
令和3年12月12日 21:40-22:00 20分
令和3年12月13日 22:55-23:15 20分

9月だったか10月だったか、電車に乗って目をつぶっていたら、聞こえている電車の走行音や踏切の音などが、単なる音に変わった瞬間があった。言葉にすれば、なんだ、電車の音とか、踏切の音とかを、わざわざ物の形や意味と音を結びつけなくてもいいんだ、音そのものを聞けばいい、そのほうが本当の音が聞ける、ということなのだけど、あえて、言葉にするのは間違っているのかもしれない。

この単なる音をひたすら聞いていれば、世界の本当の姿が分かるのかなーと期待する。

しばらく、そんなふうに期待していたけれど、ふと、ああ、この期待も余分だな、と気がついた。
この、なんだかよく分からない音をただただ聞いて、世界の99%のことはなーんも分からないんだ、という実感だけをひたすら積み重ねていればいいんだなーと、犬と散歩しながら思いついた。

もしかして、無知の知って、そういうこと? 
たしかに、わたしは世界のことなんて、なーんも分かっていない。勝手な解釈をしているだけ。


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