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マミーディ

まさか自分が
誰かのお母さんになるなんて
想像もしてなかったし
希望も抱いてなかった。

世の中の女性で
子供が欲しいのにできない人がたくさんいて
欲しくもないし、
育てる気のない女になんで
子供ができるんという人たちの話を
今まで散々聞いてきた。

なんでわたしはできんのに
あんな子にできるんよ。って。

でも、考えてみると
子供のいない夫婦って
全員じゃないにしろ
とても穏やかで、落ち着いて
人当たりが良くて
気立てがええ。


たまに
スピリチャル的な人が
私も見えたり感じたりする人だからと
勝手に決めつけて
そういう話をいろいろしてくることがある。

そんな人たちが
揃って、言うことがある。

それは、子供を育てるのは
修行。

子供ができないってことは
前世でいい加減その修行をして
終了したのだと。

3人も子供を産んだ私は
つまり魂のレベルで言うと
めっちゃ若い。ということ。

修行するリストがあって
それをまだクリアしていないから
子供がたくさんいるのだと。

子供を産んで育てるのは
あの世では
いわゆるこの世での修行。

子供を産んでも育てることが
ない人は
その子供をどうしても
この世に産み落とすための
使命。

そして、子供のできない人
子供を作らない人は
今の人生ではこの世が最後。
次生まれ変わらない。

人間を養育することは
この世での自分の課題。

私も含めてやけど
なんであの子が
あんな子供にいっぱい恵まれるんよって
思われるかもしれん。

でも、よう観察して欲しい。
子だくさんの親は
結構パンチきいてない?
まだ、お前もガキかよ。って
いうぐらい
本人たちもやりたいことがいっぱい
あって、
子供も育てなあかんし
もうてんやわんやの人生。

子供をたくさん産んで
育てるってことは
この世でそういう宿題。

人を育てるって
すごい成長する。

同じお腹から出てきたのに
全員全然タイプが違う。

周りが、仕事を始めたり
お金を稼いで自分の時間を楽しむ
年頃に
わたしに子供が授かった。

なんで!って
その時は思った。

なんでわたしだけ
こんなつらい思いをせんと
あかんのよ。って
思いながら長男を
育てた。

私にも時間が欲しい。
寝たい、遊びたい。

でも3人産んで
ところてん式に
どんどん子供が成長して
思う。

長男をもう一度
育てたい。って。

でも、こうも思う。
ほんっまに申し訳ないけど
長男のおかげで
後から産まれた子供たちと
ちゃんと向き合えると。

子供を産んだからって
人間を育てるための
レッスンなんて受けてないし
人間の成長がどうのこうのなんて
教育も受けてない。

いきなり今日から
はい、ママですよって。
子供を渡される。

長男を産んで退院するときに
看護師さんに聞いた。

「なにをすればいいんですか?」って。

お乳あげて、おむつ変えて
寝かすだけ。って。

このだけが大変だった。

何時間泣き止まず、
2時間も3時間も
抱っこして歩いて歩いて。
ようやく寝たと思って
布団へそーと置いたら
パチッと目が覚めて
私の顔を見つめたと思ったら
ぎゃーーーーーーーーーって
泣き出す。の繰り返し。

これが初めての育児だったら
そりゃどんな人も
育児ノイローゼになる。

お乳上げて、おむつ変えて
寝かすだけ。

今までしてきた中で
一番つらかった仕事。
24時間体制。

でも不思議なことに
二人目、三人目と
経験を積んでくると
泣きわめいてる子供が
ただただかわいくて愛おしい。

この赤ちゃんは
わたししか頼れないって。

一人で大きくなりましたみたいな
偉そうにしている長男の
姿と見比べて思う。

速攻、子育てなんて
終わる。
そして、親なんて
お金と洗って畳まれた衣類に
雨露しのげるお家の提供のみ。

朝の7時すぎに家を出て
夕方まで帰ってこなくなる。
産まれてたった7年もしたら。

そっから、たった10年足らずで
家を出ていく。

なのに、産まれたばかりの子供に
向き合えない。

自分のことばっかり
思ってた。

そんなしっぺ返しが
長男に返されてる。
今絶賛反抗期。

徳島に長男は残って
離れ離れだけど
たまに会うと
もうずっと、ずーーーと
昔の愚痴を聞かされる。

私なりに
頑張って育児をしたつもりだけど
長男からしたらそうは
思ってない。

赤ちゃんの時に
必死で、スマフォもない時代に
東京で一人、親にも頼れず
育ててた日々なんて
長男にはどーーでもいい話。

たまに旅行へにも連れて行った。
コンサートやサーカスにも
一通り連れて行った。

でも、普段
仕事仕事で
長男を保育園に預け
飯と風呂と寝床と衣類。

常に向き合わって
関わっていたかと
自分で思うと
あんじやすみれとの
今のマミーとしての
関わり方とは全然違う。

学校から帰ってきたら
おかえりと今は迎え入れて
おやつを作って
習い事をさせてあげれているけど
長男の時は
働かないといけない上に
稼ぎも低いし
夫婦の仲もひどかった。
そんな中で
長男は育った。

でも、あの時代が
あったから
今があって
あの時代を経験して
冷静に分析して反省して
改心したからこそ
今、すみれとアンジを
ちゃんと満足に育ててられてる。

会うたびに
長男に言い続けられる。

「普通に育ちたかった。」
家に帰ったらお母さんがいて
子供の将来のことを
見据えていろいろ考えて
環境を与えてほしかったと。

小さい時から
もっといろんな習い事がしたかった。
と。

たまに何かしてくれたって
別にうれしくない。
旅行とかどうでもよかった。
普段一緒にいてほしかったと。

でも、わたしの記憶では
小学校6年間
彼のミニバスの保護者として
関わって、
休みの日も試合に
あっちこっちと付き添って
弁当も作ってた。

でもそんなことは
思い出してもくれないし
それを私が訴えたとて
子供にとっては
否定になる。

わたしがなにをした。という
事実なんてどうでもいい。
本人がこうしてほしかったという
思いを私にぶつけたい。

俺はつらかったと。
きっと言いたいんだろう。

離婚は、長男に言われて
離婚した。

その旦那のお父さんとしての
くずぶりも
今は本人にぶつけられないので
私に言うてくる。

なんで私に言うんよって
あいつが悪いのにと思うけど
言いたくても言えない。
私しかいない。

最初はわたしも
母親として頑張ったことを
わかってほしくて
長男に言い返してたけど
やめた。

そういうことじゃない。って。

ただ、あいつは
言いたいだけなんだと。

これはわたしの
長男の育児の
やり直しを違う形で
やらさえてもらえてるんやと
ずーと
うん、うん、そうやな。
そうやな。
そやっったんな、ごめんな。
うんうん、ごめんごめん、
しんどかったな。って
聞くようになった。

スピリチュアルな人たちの
話を信じきりはしない。

だって、あの世も地獄も知らない世界。

でも、なんとなく
感覚的に自分なりに思う。

あ~~~~わたしは
まだまだ修行僧。
たぶん、また生まれ変わるし。
今世も長生きするんやろうなと。

私の未来予想図は
世界中を飛び回る人生で
結婚もせず、子供も作らず
一人で生きる予定だった。

なぜって、
自分自身で
わたしみたいなんが
親になんてなれるわけがない。
結婚なんてできるわけがない。って
思っていたから。

絶対に子だくさんで
ええお母ちゃんになれるやろうなって
言われていた同級生は
こどごとく子供を持っていない。

こいつはやばいって
奴の方が子供が多い。

私もその一人。
誰も私が結婚するなんて
子供なんてまして育てる
母親になれるなんて
うちの親も想像してなかった。

今もいう。
三人も孫ができるなんて
想像してなかったって。

ひろしは
わたしを立派なお母さんに
するためのサポート役として
この世に出てきた人。w

お母さんになるための
レッスンの先生やね。

洗濯を干して、畳んで
買い物へ行って、冷蔵庫へ入れて
朝と昼と夕にご飯を作って
お風呂洗って沸かして
子供お風呂へ入れながら
わたしが家事してる。
わたしが育児してる。って
今でも時々、ふと思う。

わたしが?って。
わたしが料理してるって。

わたしが洗濯してるよって。

子供の時に
当たり前のようにご飯があって
当たり前のように
洗濯物が畳まれて
所定の位置に入ってて
当たり前のように家が綺麗。

スイッチ入れたら電気がついて
蛇口をひねれば水が出る。

親ってそういうこと。

それがちゃんとできてる
自分がいる。

やっとそう思えるようになった。
子供を産んで20年目。
3人産んでこの感覚。

2度結婚して、こう思える。

そして、こんな
ぶっとんだ性格の生き物を
普通に育って生きてきた女が
育て上げたなんて
立派やな~。
大変やったやろうな~~。
頑張ったんやな~~って。

お母さんにお礼を言った。
43歳になって、やっと。

わたしのこと全然わかってくれへん
かったと
ずっと否定してきた。
でも、今ちゃんと生きていて
どんな時代も思い出せば
お母さんの助けがあってこそ
ぶっ飛んで生き抜けてこれたんやなあと
思う。

長男が小さい時
もっと関わってやりたかった。
でも後悔先に立たず。

でも、まだまだ
おかんとしてできるとこはある。
イメージってもんはなかなか
変えてはくれない。

最初の子供として
23歳の小娘が
見よう見まねで育てた息子。

それでも、周りに
助け舟を出したことで
彼は立派な成人になった。

彼とのかかわりはこれから。

おかんとして諦めない。
死ぬまで。

こんなわたしが
3人の人間の世界に
たった一人しかいない
母親。

光栄なこと。
めちゃくちゃスペシャルって
ことに
ここ数年で気が付いたこと。

小さい子を両手で抱えて
今にも泣きだしそうな
母親を見て思う。

今はほんまに辛い
しかないんやろうな~って。

でも、そういう人と
話ができるときは
こういう。

子を育てられる日々は
速攻終わるよ。って。

人生80年あるとしてな。
たった7年で小学生。
たった18年で
もう一緒に暮らせなくなるんよって。

日々貴重。
わたしはいつもそれを
思い起こす。

ついつい自分のことを
優先してしまうけど
いやいや。
こんなこといつだって
できるやん。
あんじは12歳。
あと6年しか一緒に暮らせん。
すみれは5歳。
やつも下手すりゃ高校で
海外行きたいってなったら
11年しか一緒におれん。

毎日貴重。

ママ~~あんな~って
あんじが話しかけてくる。

マミ~~~~ちょっときてくんな~~いって
すみれが呼ぶ。


いうてもまだまだ
子育ては今から。
すみれは来年小学生。
あんじは来年中学生。
二人ともステージが上がる。

おかんのレベルも
さらに要求される。

子育ては、自分の宿題。
どうこなすか。
自主学習。

どのおかんも育て方違う。

正解も不正解もない。

ただ、同じなのは
人を愛し、育てる。
課題。

母の日。
誰がこんな日作ったんやろうな~~。

おかんありがとうって
長男が言ってくれる日は
私の死ぬ運命の日。

わたしは、おかんとして
子供たちのために全うして
自分の人生を捧げる。

自分のための人生は
次か、次の次か
次の次かもしれない。

子供に迷惑かけんように
元気でポッコリ死ぬ
準備が
今の生活。

無添加とかナチュラルとか
自分のこだわりって
思われがちやけど違う。

子供たちのために
しっかり寝て、質のええ食事して
ちゃんと排泄して
運動して、ストレス溜めない。

脳機能を壊さないように
人生我慢せず、自分が気持ちよいように
過ごして
手足が最後まで自分で動かさえるように
自分の歯で固形物かみ砕いて
自分の内臓機能でおしっこしてうんこ出す。

今日おかんから
送った花のお礼のラインが来た。

今日は友達みんなで
ランチ行くんよ~~って。

70過ぎても、一緒にどっか行って
げらげら笑って、美味しいもん食べて
会話楽しめる友達がおって
ほんま良かったなって思う。

子供としてそれが何より。

そういうおかんにならんとな~。

わたしの老後の夢は
ひろしと日本一周旅。
一緒に歩いて、一緒に
同じ景色を見て、一緒に
新しい出会いや別れを経験すること。

マミ~いつもありがとう。
元気で死なないでねって。
すみれ。

大丈夫やで。
憎まれっ子は世にはびこるってな。

まみーそれやから。
なかなか修業は終わらんと思う。w

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