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母ちゃん


男飯。

ひろしの母ちゃんの誕生日会。

息子と、孫息子が料理をもてなし
さらに息子のマブダチが駆けつけて
みんなでお祝い。

母ちゃん、ベロベロに酔っ払って
すごく幸せそうに寝た。


これって普通にすごいことやと思う。

息子がいる、娘でもだけど
大人になった子供たちが
子供の友達が自分のために
わざわざ祝いに来てくれるん?ちゅう話。

想像しても、、、、。
ない。。。気がする。

ひろしの母ちゃんってすごく良い感じに
肝が据わっていて、気が抜けて
包容力ってのがあるのが
たぶんどの子も感じられたんだと思う。

ひろしの母ちゃんは
普通にひろしの連れに
りえ!って、名前で呼ばれてる。



息子たちの学生時代に
やらかしたここでは話せないことを
母は聞きながら
え〜〜〜あんたたちそんなことしてたの〜〜。
なんて言いながら、嬉しそうにお酒を飲む。

わたしはそんな光景を見ながら
客観的に
なんてええ母ちゃんなんやろうと思う。

この人はほんまにええ母ちゃんしてきたんだと思う。

ええ母ちゃんとは子供に正しいことを
教えるだけではない。
グッと堪えて、じっと見守る。
子供達を信じる。

これができそうでできない。

我が子だけど、心配が余って
信じられない。

立派な政治家でも嘘を平気でつくし
悪いことする。

子供も子供なりにする。
それって大人はすぐわける簡易。
だから見逃せない。

でも見逃す。

見てみぬふりって
他人にはできても
自分の家族にはできない。

いつかどっかで悪いことをしたと
わかるだろうと。

それができない。

気づいて、叱って
導く。
それも親にとって大事なこと。

でもあれこもかもは
かえって良くないと
心と頭では思っているのに
つい、説教をしてしまう。

金魚の糞みたいに
子供を追いかけてしまう。

放っておけば良いのに。

先に立って、あこっからは危ないから行くな。
あれは使ったらこうなるから使うな。
あの人は恐ろしいからしゃべるな。と。

なにが起きるかなんて
起こしてみないとわからないけど
ある程度大人で生きてると
ある程度予測できるから、
予測で子供を守る。

それは親としては当然なことだけど
あれもこれもとしてしまって
無傷のまま、汚れないまま子供時代を
過ごすと
親がいなくなった時、一人で予測して
動けない。

わかっちゃいるけど
あ〜〜〜〜って手を出してしまう。

ぐっと堪えて見守る。
本人が頼ってきたり、助けを求めてきた時に
助言する。

ひろしの母はそうやってしてきたんだと思う。

ひろしやひろしの友達の
エピソードを聞いてると
それ、親に怒らへんかったん??
みたいなことばっかり。

近所迷惑に、警察沙汰。
男の子特有の悪ふざけが過ぎた結果。


私が知りうる上でもう一人
ええ母ちゃんがいる。
それは実家の家の前のおばちゃん。

あのおばちゃんがいたから
学生時代、わたしはあの場所で生きれたと思う。

おばちゃんも、自身子供が
息子も娘もどくそヤンキー。

わたしが小学生の時
おばちゃんの子供たち
お兄ちゃんもお姉ちゃんは
遊び盛りの20代だったけど。

そのイケイケ時代に
おばちゃん含め
同級生にいじめられ、友達が
つくれない小学生を
黙って仲間に入れてくれた。

一般社会では、問題児だった子供達が
このおばちゃんの家を溜まり場にしていた。

どんな子でも受け入れる。

子供ながらすげええなと思った。

普通の大人ではできないと
今も思う。

社会からの除け者は
受け入れ難い。


ひろしはわたしを
親に紹介する時に言った一言。

大丈夫だよ、日本一周歩いて旅するなんて
いう息子の母ちゃんだぜ?

おちづの変なところなんて
全然気にせんよ。

まさにその通りだった。


そして私。
そんな母ちゃんにはなれていない。

変人なくせに
社会的な親をしようとするから
つまずくし、変なことになる。


自分のお腹から育って出てきても
一緒に暮らして、飯を食わして
風呂に入れて、携わっても
はたして、子供にとって
理想の親になれないし
意思疎通ができて
お互い尊重したりできない。

親子でも。

料理を長年家事でやっているように
子育ても何人育てようが
半人前。

よく、私に似て、とか
旦那に似て、とかおばあちゃんに似て
とかいうけど、
性格は遺伝子ない。
魂だから、
どこからやってきたかわkらない。

魂そのものの気質。
だから自分から生まれてきたからと言って
南道網が自分とは似ても似つかぬ存在であり
予測不可能で
一、個人。
全く別物。
自分の所有物でもないし
子供といえど、自分の分身ではない。

顔やら骨格は似ても
魂はどっからから
飛んできた縁もゆかりもない存在。

だから、子供だからといって
気がいうかどうかはわからない。

ただ、産んで世話しただけ。
愛情をかけれるだけ。
の、子供。

って考えたら血が繋がってるとか
全然関係ない。

だって、生物が違うのに
お母さんと子供になる。
そうでしょ?
犬やら猫やら。
もう子供並みに可愛がっている人もいる。

それが無償の愛。

でも無償の愛の対象でも
母親になっても、人間。
子供に言われた言葉に腹が立つこともあるし
傷つくこともある。

言葉かけが合ってるのか、合ってたのか
親だからってわからない。

子育てには正解がない。
マニュアルもない。
みんな違う。

常に初心者。

上の子が18歳で、
真ん中が10歳で下が3歳。

18年間、3人別の性格な子供を
育ててるけど
未だ正解がわからない。


そして最近気がついたことは
子育てに悩むんではなく
自分の特徴や月のバロメーターとか
自分を自分でよりもっと
分析していかないとだめだな〜と
思う今日この頃。

10歳あんじが発達遅れで
子育てがうまくいかず
お互いしんどい。って時に
話を聞いてもらった。


発達支援、フリースクールや
その子供たちに関わることや親の
サポートをしている
藤沢市にある森の子学校の
代表の人が
ひろしの知り合いで
話をする機会をもらった。


親だからって、親になったからと言って
子育てというか、
人間の発達に関して詳しくない。
というかむしろ知らない。

大体この歳でこういう感情が生まれて
こういう行動を他者と取り出す。。。とかね。

学校では教えてくれないし
親になっても
子供が普通に何事もなくトラブルなく
育てば、そんなことすら気にもしないことだけど
良いんだか悪い檀家
私含め、子供達の癖が強い。

うまくお母さんしたいと思う。
成就に奥さんしたいと思う。

子持ちはあるけど、一冊の本を
読んだとしても自分と重なるかとはwからに。

日本では保険がきかないのもあるけど
プロに相談して、解決策をアドバイスしてもらったりする
生活カウンセいるング社会が
全然浸透していない。

でも絶対日本人だって
さまざまな心のケアやアドバイスが必要なはず。


当事者として。
子供の相談に行ったけど、
結局子供ではなく自分だということに気がつき
親としてもそうだけど、一人の人間として
月一、森の子学校のカウンセいるングに
通うことにした。

私は社会的にはお母さんだけど
自分自身は自分。

自分が子供の時に足りなかった事
子供の時にできなかった、言えなかった感情や思想を
思い出しながら
でも今の自分と、大人になりきれてないと思う自分を
発散して、聞いてもらって、アドバイスをもらう。

すごく楽になる。


そうか、聞くに聞けないこと
どうしたらいいか解決策がバブーからない人は
きっとたくさんいる。
そんな人に私も寄り添いたい。

わたしは自然の力を借りて生きる力がある
人間としてはプロだ。
アホほどいろんな人が書いた見解の本を読みああさり
経験もして、学問もそれなりに学んだ。
いろんな人のそういう相談も受けている。

そういう人にとっては私も
森の子学園だ。

ということで、ホーム。
そういうぽじゅ初任具で
たくさんの人の生活のアドバイスが
できると良いなあ。


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