日本におけるフォーカシングの現状についての私見

皆様

「集い」「総会」直前ですが、私が日ごろ感じていて、耳にしたり目に入ったりしてい
ることに基づいて、狭い世界から見ているに過ぎないかもしれないことについての私見
を、これを機会にまとめて述べさせていただこうかと思います。

現在の日本フォーカシング協会が、会員数500名程度で停滞し、新たな展開の糸口を見
失っているとのことです。

私はこのことの一つの要因が、「パートナーシップ」中心の状況にあると考えています
。

フォーカシング学習が、互いにフォーカサーとリスナー(ガイド)が役割交換可能な形
で「身につける」ことをますはめざすのがふさわしいことは言を待ちません。

しかし、あと一歩進んで、日常の中で、必要を感じた時にひとりでフォーカシングして
成果を上げられることは増えていくこと、敢えて言えば、「条件反射」の域に到達し、
全く意識しなくても、起きている時も寝ている時もフォーカシングを「している」状況
(夢フォーカシングも慣れれば自動化します)にも到達することを理想とすべきと私は
考えます。

私は日常の中で意識的にフォーカシングすることはもう滅多にありません。よほど不測
の事態の対人関係が生じた時だけであり、今回会社設立→天神での開業に関しても、税
理士や役所、不動産会社、Wweb制作業者をはじめとして、他の職種の方々との交渉を重
ねましたが、全く無駄のないtightなビジネス交渉をして行けて来たと感じてます。そ
れはすべての瞬間に自分の中でフォーカシングを無意識の内にでもして来れたからだと
思っています。

ある意味では、ガイドのいるフォーカシングには、相手に対する見栄や配慮などという
「不純な」ものが入り込み、かえってシビアではなくなり、自分の責任で自分のために
フォーカシングをするという姿勢に限界を与えるとすら感じています。

パートナーシップ中心主義は、フォーカシングに未熟な者同士の「なれあい」となり、
いつまでもフォーカシングの勉強会に「依存」させるのではないか、むしろさっさと「
卒業」していく形で「回転率」が上がるくらいになるのが健全かと思います。

「卒業」して、それぞれの日常や現場で役立つという手ごたえがある人が増えれば、そ
うした評判から新規の学ぼうとする人たちが自然と出て来る・・・という、良循環です
。

思い出したときに、ふるさとのようにクループや「集い」に参加する、それでいいので
はないかと。

最近ではPTSDやDVをはじめとした、新たな方向への心理療法への適用が、どの流派でも
トレンドな課題となっているのは時代の趨勢で、全く正しい姿と思っていますが、一つ
間違うと「流行」を追い、「新しい」ものを「みてまわる」表層性に陥る危険もあるか
と思います。

そういう意味では「原点回帰」といいますが、とっくの昔に書かれた論文や著作、トレ
ーニング法を、ほんとうに地に足がついた形で学べているかに立ち返ることが大事かと
思います。

すでに私が訳出してみましたが、ジェンドリンの統合失調症者に対するアプローチは、
1961年の「体験過程と意味の創造」と1964年の「人格変化の一理論」の間のたった3年
間に「完成」されていました。私は改めて読み返してみて、私の現場臨床ですでにあた
りまえにできていることが書かれていることを再確認しました。

そこで描かれているのは、面接現場のただ中で、セラピストの側がフォーカシングし続
け、「そこ」から何を言葉にするか、しないままにするかを当意即妙に、オープンに(
しかし実は厳密に)守るということに他ならなかったわけですが、この「フォーカシン
グの『臨床適用』とは、治療者自身が自立したフォーカシング能力を獲得して面接現場
に接すれば、おのずからスタイルが定まる」ということは、7「フォーカシング事始め
」を分担執筆させて歌だいた時点ですでに書いていたことです。

もとより、それを文字通り実践することができるまでには、私個人の人生上の課題が多
すぎたと感じています。

単純明快に、特に儲けようという気がないけど、「日々の糧を得るために(中井久夫)
」開業カウンセリングに専念しようとしてきた時、私の中の余計なものはすべてそぎ落
とされ、やっと効果を発揮するようになってきたという印象です。

敢えて言いますが、個性やオリジナリティというものは一切不要だと思います。

私の場合で言えば、「フォーカシング入門マニュアル」の時点でのアン・ワイザー法の
習得→Focuser as Teacherの習得→インタラクティブ・フォーカシングの習熟(おまけ
で夢フォーカシングにもなじんでおくこと)、ここまでできれば、フォーカシングの学
習は、王道を、最もtightに省エネで極めたとことになり、あとは各自が「応用問題」
を、興味と関心のままに展開していけばいいかと思います。

いささが傲慢とうけとられないことは承知ですが、私も62歳を迎え、残り10年ほどしか
後輩の育成に時間が残されていないと覚悟と責任を感じるようになりました。

そうした中で感じていることを、「集い」直前、福岡市に開業の拠点を移すにあたり、
お伝えするタイミングかと、私のフェルトセンスが言っておりましたので、敢えて「空
気を読まずに」発信いたします。

以上、The International Focusing Institute日本支部、トレーナーメーリングリストへの投稿です。

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