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学会の紛争に巻き込まれるのを躊躇しはじめる夢

私は夜になって東京の福祉関係のオープン参加の学会のようなものの会場の外の公園にいる。

何らかの理由で、私は学会の会場の大ホールの外にいる。連れの男のカウンセラーがひとりいる。時間は夜の10時。

どうも学会の大ホールでのパネルディスカッションのようのものが大荒れであったという情報が入ってくる。

すると、会場から出てきたと思われるカウンセラーが呼びかけをしているのに遭遇する。

「大ホールの会場でどんな紛争が繰り広げられていたか、教えてあげるから、一緒に来ないか?」

という誘いをかけてくる。

私と連れは、彼についていって話を聴こうかと歩きだすが、突然、連れが、次のように耳打ちしてくる:

「彼の話を聴くのはヤバいんじゃないか? 特定の派閥の偏った情報に巻き込まれる可能性がある。」

それでも2人は誘ってきた人と一緒にレストランに向かおうとするが、私は、

(待てよ。私は住んでいる八王子に帰るための終電に乗らねばならない。ここは地下鉄で渋谷から何駅か離れた場所だ。ここから京王線まで乗り換えて、八王子に帰るまでには30分ぐらいしかつきあえないな。・・・ま、それでもいいか)

ところが、レストランへの階段を登ろうとする時に、また新たに気づく。

(待てよ。今はコロナで終電が30分早くなっているはずだ・・・まあ、スマホの乗り換えソフトで調べればいいのだが)

******

夢はここで終わる。

何なんだ。この生々しい現実的な夢は。

・・・ここでふと思い浮かんだのは、先日までの日本フォーカシング協会の、ZOOMによる「フォーカサーの集い」が、紛争などとは正反対の、実に和やかな一体感のある、安心できるネットを通した集いであったこと。

ユングの言う、夢の「補償作用」で、無意識が、全く正反対の夢を観させることはよくあることだ。

古くからの知り合いで、ネットで実に何年かぶりに再開した先生たちは「あ、○○○さんじゃないか。久しぶりだね」と何人も声をかけてくれたし、「あの○○○せんせいですか?」と言い出す若い人もいた。

私は、わすれらているどころか、大歓迎されたのだ。

幸い、例の拙書、「入門・フォーカシング」の無料郵送頒布の件も、公式に主催者から広報してもらい、すでに何人もの方から申し込みのメールが届いている。

私の「復活」は、ささやかながら受け入れらているのだ。

この調子なら、来年沖縄で、今度はリアルに集まって開かれる予定の「フォーカサーの集い」でも、私は分科会を持ち、その時にこそ、私の本を参加者全員に直接配ることができるだろう。

そうなれば、私に直接フォーカシングの指導を受けたい人は急増し、収入も延びまくるだろう。

昔はフォーカシング協会内部にも紛争はあった。しかしそれは過去の話である。

私の著作は、決して偏向したひとりよがりな内容ではなく、すでに読んでくれた方の中には、「小学校の教材として使っているから。たくさん送ってくれ」と言い出す人すらいる始末。

ともかく私は現実とは正反対の夢を観たのだ。

もう、私は、時代に取り残された、「過去の人」ではない。


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