ウマ娘の精神分析 第24章 タマモクロス -貧乏にも負けない浪速のド根性ウマ娘-
●実在馬
1984年5月23日 - 2003年4月10日
サラブレット オス 芦毛
北海道新冠町の生まれ。
タマモクロスという名前は、馬主が香川県高松市出身で、高松城の別名が玉藻(たまも)城ということから名付けられました。
父は、フランスからの良血をひき、大レースでこそ勝利していませんが、鋭い後方からの追い込みで「白い稲妻」と呼ばれ、引退後は種馬として活躍したシービークロス。
タマモクロスは当初、主として関西の競馬場を走りました。
小さい頃から体が細く、生育が遅い奥手の馬とみなされました。
そのためデビューが遅く、しかも最初ダートを走らせられましたが成果が出ませんでした。この頃出身牧場が倒産します。
再び芝を走ることになりますが、ここから連勝街道をひた走ります。
1988年の天皇賞(春)、宝塚記念、天皇賞(秋)を三連勝する偉業を果たし、「白い稲妻2世」と呼ばれます。
その頃、地方競馬の笠松から中央競馬に移り、通算14連勝(中央競馬だけで6連勝)を重ねて破竹の勢いだった、同じ芦毛で、一つ年下のオグリキャップとGIで3回激突、1勝1敗1先着となりました。
このオグリとの最後の有馬記念での対戦を最後に引退、長寿で、種馬として数多くの勝ち馬を輩出しました。
少食でも身体が持つ馬でしたが、それが衰弱を招く時もありました。
通算成績:18戦9勝 2着3回 3着2回
騎手はほとんど南井克巳。
●ゲームの声:大空直美
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グレーの長髪に、雷のデザインがあるへそ出しTシャツ、紺のジーンズに青を基調としたジャージを羽織る勝負服。
耳は長いものの、時として小学生と勘違いされる背の低さ。
関西弁でまくしたて、気が強いですが、相手のことを理解していくと穏やかにもなります。
子どもたちに人気で、走る姿を繰り返し見せています。
浪速の貧乏な家庭に生まれ、小さな弟と妹がいます。
3人を養うために両親は、汗水たらして働き、時には身体をこわすほどです。
タマモはお姉さんとして2人のチビの面倒見がよく、おやつをお金で買えないチビたちのために食事を作ったり、食卓で自分の食べる分を分け与えていました。
そうするうちに、胃が小さくなってしまったと言います。
それでも仲のいい家族でした。
子供の頃から走るのが速く、「お前は白い稲妻、走りは世界一や!」と言われて育ちました。
そういう家族に楽をさせるために、連戦連勝のウマ娘になろうと志し上京、トレセン学園に入ります。
しかし、模擬レースや選抜レースでは思うように結果が出せず、自分でも行き詰まっていると感じていました。
スカウトたちも、鋭い末脚には見るべきものがあるが、時々勝利できる程度のウマ娘にしかなれないと感じていました。
名乗りを上げたトレーナー(ゲームプレーヤー)は、「楽しく走ったらどうだ」と提案します。
タマモはそんなやり方では勝ちまくるウマ娘になれるところまで鍛えられないと思いましたが、実際にそのように走ってみて、自分が家族のためにと思いつめて走るばかりで、本来感じていた走ることの楽しさを見失しなっていたことに気づきます。
少食すぎてパワーが出ないことを自分ではどうしようもないと感じていましたが、自分に親しく接してくれるスーパークリークは、すでに述べたように、ものすごい世話焼きで、他のウマ娘のためにやたらと料理を作りたがります。
スーパークリークの方が後輩なのに「いいこ、いいこ」と言われてばかりなのはタマモも虫が好かないのですが、それでも一緒にショッピングに出かけたりしています。
そういうスーパークリークですらタマモの喉を通る食事を作れないのを見て、トレーナーーは、ヒシアケボノと、モデルのゴールドシチーに、バランスのいい食事のとり方を伝授してもらったりもします。
そうこうするうちに、タマモは成果を出せるようになっていきます。
さて、タマモのルームメイトで後輩なのが、地方の笠松出身の転入生のオグリキャップ。モデルとなった史実馬は、輝かしい戦績を残した歴史に残る名馬ですが、ゲーム「ウマ娘」の世界では、朴訥でぬーぼーとした超大食いキャラクターで、オグリのボケ、タマモのツッコミという、珍コンビでもありますが、そもそもオグリの方が、スーパークリークがいくらでも作る料理をひたすら食べ続けています。
オグリに対してを含めて、タマモには姉御肌で人情家で世話焼きの面があります。
しかし、レースで勝てるようになるにつれ、タマモは次第に壁にぶつかるようにもなります。
家族のために頑張ろうと思う気持ちが、空回りし始めるのです。
大阪の家族に楽をさせたいという思いからウマ娘になったのはあくまでもタマモの側の信念なのでして、別に家族はそれをあてにしていなかったのですが。
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トレーナーの「求められるのは空気を読んだ気休めではない」という言葉、これがタマモの物語の一番の名言だと私は思います。
親の側が子供のことが心配で、いつまでも世話を焼こうとすることはよくありますが、子供のほうが、あとに残した親のことを心配するあまり、本気を出して自分の道を突き進めないこともしばしばあるように思います。
これは「親孝行」などという道徳的価値観にしばられているというだけではなく、子供がほんとうに親のことを愛しているため、見捨ててはおけないというケースもあるでしょう。
少なからぬ親や家族が、子供に期待するようになるのは、もっと別のことだと思います。
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