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フォーカシングとは、実はシンプルなものである

ケビン・マケベニュさんの「ホールボディ・フォーカシング」に、次のように書いてあります。


「私は、私たち自身の内側にあるものこそが、どんな権威よりも、私たちの人生を癒すために必要な多くのことを知っているということを繰り返し確かめることができました」(訳書pp.2-3)

私は、通常、フォーカシングの「指導」と、「通常のカウンセリング」を、完全に別のものとみなしています。

1.私のカウンセリングルームにおいでになったら、フォーカシングを学ばねばならないと、皆さんに誤解していただきたくないこと。

2.一般の方への現場カウンセリングは、特定の技法を適用すればいいというものではなく、その方のお話をうかがう中で、共同作業していく「コラボレーション・ライヴ」であると私は考えていること のためです。

もちろん、通常のカウンセリングの際にも、クライエントさんを前にして、カウンセラーとしての私自身の中では、絶えず「場の」感じに触れつつ、フォーカシングしながら、クライエントさんの感じているであろう「言葉にならない思い」まで、クライエントさんの「身になって」味わい、共有しようとし続けています。

そして、次に何を言葉にするか(しないか)を、私自身のフォーカシングの中で吟味し、 クライエントさんに、その時、あるいは長期的に見て、どんなお手伝いができるか、フォーカシングしながら思いをめぐらし続けているのですが。

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フォーカシングの草案者、ジェンドリン自身の、その人がフォーカシングができているかどうかについての 「最も端的な定義」 と私が長年考えているものををご紹介。

IF DURERING THIESE INSTRUCTIONS SOMEWHERE YOU HAVE SPENT A LITTLE WHILE SENSING AND TOUCHING AN UNCLEAR HOLISITIC BODY SENSE OF THIS PROBLEM, THEN YOU HAVE FOCUSED. It dosen't matter whether the body-shift come or not. It comes on its own. We don't control that.
ここまでの教示を(自分に)にしていく間のどこかで、 (気がかりな)問題をめぐって、 はっきりしない身体全体の感覚が感じられ、 しばらくその感じに(内側から)さわり、感じてみることが、 ほんのちょっとの間でもできたならば、 あなたはその時フォーカシングをしていたのです。

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身体の感じに変化(シフト)が生じてきたかどうかは気にしなくていいんですよ。

そういう変化は「向こうから」自然と生じてくるもの。

ガイド(トレーナー、リスナー)である私や、フォーカサーであるあなたが「操縦して」、そういう変化の感覚を生み出すわけではないんです。

「フォーカシング」 ユージン・ジェンドリン著、p,74に該当しますが、敢えて私自身で訳し直してみました。

フェルトセンスに変化をもたらす「内的な導き手」は、フェルトセンスそれ自体であり、あなたはそれに気づき、それを感じることを自分に「許す」主体でしかありません。

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「この部分の訳、変です。抜け落ちている単語もあるし。これじゃ誤解されますよ」

と、共訳者の故・村瀬孝雄先生にご注進した、大学院入りたての、もう21年前になる、若き日の思い出がよみがえります。

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