ウマ娘の精神分析 第22章 マンハッタンカフェ -イマジナリー・フレンドと競争し続けるウマ娘-


●実在馬

サラブレッド オス 青鹿毛

1998年3月5日-2015年8月13日

北海道千歳市に、サンデーサイレンスという良馬を輩出した父のもとに生まれます。母のサトルチェンジはアイルランド産馬。

アクネスタキオンと同じ、1998年生まれの「3強」のうちの一頭。

出生時から心身両面ともに弱さがあり、牧場関係者からは「奥手のタイプ」と言われました。

しかし、実際には、3歳デビューの年に菊花賞を制し、そのままその年の有馬記念も優勝、翌年の天皇賞(春)も制覇。この偉業は、シンドリルドルフが達成して以来で、その後現時点(2021年12月)まで出ていません。

その後フランスの凱旋門賞に出走。13着に終わり、そのまま引退しました。現役生活は2年に満たない馬でした。

北海道に戻り、種牡馬生活に入り、子には5頭のGⅠ級優勝馬を輩出しています。

通算成績:11戦6勝、2着0回、3着1回。

騎手はほとんどが蛯名正義。

●ゲームの声:小倉結

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黒い長めのストレートヘア、すその長いガウンを羽織り、全身黒の勝負服。光を失った虚ろな瞳。

名前の通り、コーヒーをたしなみます。いろいろな種類の豆を集めていて、それを調合して、オリジナル・ブレンドのコーヒーを作り、自分の部屋に来た人をもてなしたりもします。

愛称は、「マンカフェ」。

彼女とトレーナーの出会いは、ちょっと不思議なものでした。

トレーナーは、夜のグラウンドで練習する、彼女の姿を見かけます。

彼女は、誰かと話をしながら、練習を進めているようです。

ところが、その練習相手の姿は、トレーナーには見えません。

トレーナーは、それでも彼女に歩み寄り、誰と話しているのかと尋ねます。

「私の友だちです。私と姿は似ています。でもあなたには見えないと思います」

その「友たち」は、彼女よりもずっと速くて、どうしても追いつけない。だからその友だちの顔ははっきり見たことがない、と彼女は語ります。

彼女はいつも、その、見えない練習パートナーと練習しているのです。

トレーナーは、

「立場が変われば、その人にしか見えない者があるだろう」

と考え、その見えない「友だち」が実際にいることを信じてみることにしました。

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私は「ああ、マンハッタンカフェには、『イマジナリー・フレンド』がいるんだな」と直感しました。

イマジナリー・フレンド、日本語でいえば、「空想上の友だち」となりますが、心理学の世界では、かなり知られた概念です。

小さい頃、この、空想上の友だちを持っている人は、結構たくさんいます。

たいてい同性で、遊ぶ時に、実際に声を出しながら対話します。

名前をつけている場合もあります。

このように言うと、実は自分もそうだったと思い出す人はいるのではないかと思いますが。

著者である私にも、いましたね。

このようなイマジナリー・フレンドを持つようになる理由は、心理学者によっていくつかの仮説が立てられています。

まず、前提として、一人で安心していられる空間を家の中に与えられていることが多いとされます。

そして、その「友だち」を持つ子供は、きょうだいがいないか、いても自分と年が離れていることが少なくないそうです。

でも、親はその子供を放ったらかしにしてきたわけではなくて、普段から子供に関心を持ち、声をかけつつも、子供の行動には干渉はせずに、自由に遊ばせるような態度をとっている。

(マンハッタンカフェの場合、両親がどういう人だったかは、本人の口からは一切語られませんが)

つまり、まずは、親が子供に語りかけるその様子を、子ども自身がまねすることからはじまることが多いわけです。

親は「そんな人いないよ」と否定することはありません。子供のままごと遊びとかではあたり前のことですから。

でも、その子供は、友だちも少なく、ひとりぼっちと感じていることが少なくないです。そういう寂しさを埋める役割を果たしているわけですね。

その「友だち」を、親が子供を叱るように、いじめてばかりのこともありますが、自分にとっての理想像であることも多いそうです。

マンハッタンカフェの場合は、まさにこの、自分の理想の存在で、しかも競争相手ということになります。

トレーナーは、その「友だち」について、マンハッタンカフェに、もう少し話をきいてみます。

彼女によれば、ずっと小さい頃から、その「友だち」はいて、白昼堂々会話していたのだけれども、知り合いには「そんなものはいない、思い込みか、幻覚だ」と言われてしまいました。

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・・・ここで少し、「空想上の友だち」と「幻覚」の違いについて、かなりマジなことを書いておきます。

「幻覚」というのは、統合失調症の人に「見える」「聴こえる」場合があります。

「見える」ことはあまりなく、「幻聴」だけの場合のほうが多いのですが、いずれにしても、本人には、全く空想の余地がないものとして、実際に「見え」、「聴こえる」のです。

コミックやアニメで時として描かれているような、幻想的なヴェールやオーラのようなものにつつまれていたり、声にエコーがかかったりしないのです。ほんとうに実在の姿や声と同じ、生々しい存在として体験されています。

それが自分の空想や思い込みの産物であるとは、本人にも全く感じられません。

ただ、何かとても恐ろしい体験だとは本人も感じていることが多いようです。

また、統合失調症では説明できない、非常に宗教的な、あるいはスピチュアルな体験として生じる人もいます。ほんとうに神や天使やキリストや仏様、あるいは精霊からのメッセージが届き、稀には姿すら見えるわけですね。

いろいろな宗教の開祖や、後に聖者として讃えられる人が、こうした体験をしたと、書物に書かれています。こうした人は現代にもいます。

本人には嘘をついているつもりは全くありません。本気です。

仮に既成の宗教の神仏などからのメッセージと捉えられていなくとも、自分たちのような人間とは異次元の、自分の意志を超えた、畏(おそ)れ多い、神聖で高貴な存在がいることを疑えなくなる出会いの体験、しかも特別な時の体験として感じられているそうです。

そうした体験をきっかけとして、その人の人生は変わってしまい、少なくとも、それをきっかけに、それまで神様などの存在を全然信じていなかった人が、熱心な信者になったり、修行をはじめたり、自然の中で瞑想をはじめたりすることは時としてあるそうです。

もちろん、こうした宗教的・スピリチュアルな体験をしたと主張する人の中には、実はただの空想であることを自覚しているのに、人々を騙(だま)して金儲しようとしている人もいて、他人がそれを区別するのは難しいのです。

ではそういう人と関わるしかなくなった時にどうすればいいのでしょうか。

少なくとも、ご本人が、自分を超えた神聖で高貴な者が存在し、メッセージが感受できると言うのを否定しないでおいてあげる方がいいことは多いようです。

ただし、その人自身が自分から語る以上に内容を聞き出そうとしてはなりません。

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これに対して、イマジナリー・フレンドと共に過ごす体験は、楽しいもののようです。そして、本人もそれが自分の空想だとどこかで気づいていることが多いです。

こうした「空想上の友だち」は、子供時代を過ぎると、多くの場合、いつの間にかいなくなってしまうものです。でも、青年期になっても、こうした「友だち」がかけがえのない存在である人も、時にはいます。

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さて、こうしたマンハッタンカフェの様子に興味を抱いていたのが、ルームメイトのアグネスタキオンです。

彼女が、マンハッタンカフェのことを、「イマジナリー・フレンドを持っている」とまで言い出すのには驚きました。

皆さんに誓いますが、私は決して後出しじゃんけんをしているのではありません。

アグネスタキオンはマンハッタンカフェと同期です(これは実在馬の史実どおりです)が、すでにレースで実績をあげていました。その彼女が無期限でレースをしないと言い放つのです。

では何をはじめるのかといいますと、彼女は、マンハッタンカフェの専属「アドバイザー」になるといい出します。

マンハッタンカフェは、アクネスタキオンに巻き込まれてしまうことを警戒しますが、結局はそれを認めることにします。

こうして、マンハッタンカフェには、トレーナーとアクネスタキオンという、ふたりの指導者がつくことになります。

アクネスタキオンはそういうマンハッタンカフェの成長する様子をみていて、最後に大きな決断をするのですが・・・

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ここで、「空想上の友だち」との関係から話題を広げて、私たちも、「もうひとりの自分」を話し相手として意識した方がいいということについて触れます。

自分をダメだと責めて、自己嫌悪するばかりになるようでしたら、「あなた」のことを思いやるあまりに、「あなた」の都合などおかまいなしに、いろいろ警告をしたり、おせっかいの押し売りをしてくる、「もうひとりの自分」がいるのだと思ってみるのもいいかもしれません。

そして、そういう存在に向かって、「『あなた』の言い分も一理あるけど、ちょっと聞き飽きた気もする。ちょっと黙って、『私』なりに感じて、やってみる様子を、しばらくただ見ていてくれないかな?」とお願いするのです。

同じようにして、「あなた」のグチや泣き言やホンネを、なんでも聴いてくれる、「カウンセラー」のような存在を、心の中にはっきり作ってしまうのもいいかもしれません。

そうすると、「あなた」自身にも、自分自身のほんとうの気持ちや、ほんとうは何をどうしたいのかが、次第に冷静に見えて来る場合があります。

カウンセリングを受けるというのは、実は、こういう、「自分の中の『カウンセラー』」を育てることである、とも言えます、結局は、相談しているカウンセラーとのカウンセリングは、いつか終わりにしないとならないのですからね。

実は、こうして、自分の中のいろいろな「自分」と、焦らずじっくり「対話」できるようになる、ということが、その人のほんとうの心の成長ではないかと、私は考えています。

これは、私が学んだ「フォーカシング」という心理技法で、すごく大事にしていることなのですが、これ以上書くと、わたしのやっているカウンセリングの宣伝になってしまいますので、このへんで遠慮しておきます。

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ゲームで、マンハッタンカフェを、URAファイナルズ優勝にまで導けると、いつも彼女の前を走っていた、イマジナリー・フレンドの正体はわかります。

そして、彼女がそれからどういうふうに生きていくのかも描かれていますが、もちろん、それは、ナイショです。

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