個人の発信いまむかし

なんだか最近140文字以上の文章を書いていない気がするので、気まぐれにリハビリとしてこのようなものを始めてみようと思う。
続くか続かないかはわからないけれど、とりあえずどうぞよろしくお願いいたします。

さて、個人が雑記を公開する場というと、ネットに触れて長い私などは、ブログ全盛の時代を想起する。
(かくいう私も、小学生の頃には生意気にも自分のブログを持っていた。)
各々がそこに書き込む内容は、今も昔も大きくは変わらない。日記、批評、趣味の話、創作、etc..
しかし、その表現方法や読者のあり方には、この10年で色々な変化があったように思う。

まず、単純に一つ一つの記事が短くなった。これは、スマートフォンの時代に移り変わったことが大きな原因だろうと推測できる。
昔は皆パソコンの前に座り、腰を据えて文章を打ち出していたものだが、現在の多くの人間はスマートフォンで文章を打つ(それは色々なところで客観的なデータが出ているのでほとんど断言していいと思う。)。
画面が小さく、タイピングに劣る入力方法では、長文を書くのに適さない。加えて、外出中のふと空いた時間(何かを待つ間、電車での移動時間など)に少しずつ書くとなると、やはり長い文を書くことは難しい。

第二に、読者の姿勢が、"個人の空間"を「お気に入り」「購読」するスタイルから、一つ一つの記事を「シェア」しあい、「いいね」するスタイルへと変化した(もちろん、発信者をお気に入りする「フォロー」というシステムは形を変えて残っている。)。
"個人の空間"というと、ブログというよりは個人サイトの方を連想する人が多いかもしれない。
昔は気に入った個人サイトを「お気に入り」して毎日周ったり、RSSで好きなブログを追いかけたり、ということをしていたものだが、今時は個人サイトというのも目新しいものではなくなったし、そもそも個人でコーディングしてFTPサーバにアップロードして……という凝ったことを行っている人はごく少数なのではないだろうかと、なんとなく感じる。

少し話は脱線するが、最近遅ればせながらも楽天マガジンやdマガジンなどのサービスを試してみて、驚いたことがあった。それは、閲覧できる全ての雑誌を跨ぎ、記事単位で検索ができることだ。
何を今さらと思う方もいるだろうが、これは紙媒体では絶対にできないことなので、デジタル時代の革新である。
これなら、ただ一つの記事目当てに雑誌一冊を買うお金も、その記事をページの中から探し出す時間もかからないので、とても効率的だ。
作り手とすれば、「Aには興味があるがBには興味がないという人」を「Aで釣ってBに触れさせる」機会を失うので、悩ましいことかもしれない。
(また、触れる情報が自分好みの情報のみに絞られていくことのリスクは散々に言われていることだが、その話にまで手を伸ばすと本格的に脱線するので割愛する。)
しかし読者にとっては、記事それぞれに「prev」「いいね」という名の人気度が見えることで"クソ記事"が淘汰されていくのなら、より需要に即した記事、良質な記事が増えることになるので、とても良いことなのではないだろうか。理論上は。

その他にも「#」の登場やSNSについてなど、色々書くことはあるのだが、なにせ小さなスマートフォンでちまちまと書いているのでそろそろ手が限界である。やはりこれでは長文など無理だ。
(それとも、単純に訓練が足りないのだろうか。それならば"リハビリ"という当初の名目がより正当になる。)

読み手の方も長々スクロールするのはしんどかろう。
残りはまた今度、気が向いたら書くことにする。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?