おてまみ ~それをひとは真心と呼ぶ~
「ただいま~はうはずサンから手紙来てるで?」
「手紙?」
「手紙」
「おてまみ?」
「おてまみ」
「封書?」
「封書。どんな言い方したって手紙やって」
「手紙?荷物じゃなくて手紙なん?」
「手紙やって、ほら」
「うっっっす!イヤな予感がするぅ~」
訃報か…それとも不幸の手紙か?
昨年の夏、私がぶっ倒れた内容の闘病記からブログの記事更新をサボっていたばっかりに、くたばってしまっていると思ったはうはず氏から心配の封書が前触れもなく届いたので、ついつい不幸の手紙かおもた。
メールでやり取りできるのに、というよりもメールですらやり取りすることも年数回程度なのに、わざわざ筆を取り直筆で言葉をしたためてわざわざ切手を買って貼って投函する、そんなわざわざ伝える用事とはまさか…と勘ぐってイヤな予感がしてしまった。
去年、封書を二人からいただいた。
それは久々に倒れた私に対する真心だった。
私は難病になってから闘病記をしこたま書いてきたが、それは「病人になってから知る事がこんなにも多いのか」と「病気になってからじゃないと人間は知るのに本気を出さない」てコトが私の実体験だったので、人間は皆同じ道を辿るんだろうなァと思って書いている。
それはそれはもういろいろな媒体を使って手当たり次第に数を打っていたら、ほんの一部のひとからの反応だけど「病気自慢」やら「かわいそうとは思わない」やら「やめろ」という声が出始めた。
「自分のフィールドでやれ」てのは一理ある、と思ったので手当たり次第に数打つのはやめ、自分のフィールドであるブログでのみ更新を続けた。
手軽に検索出来る世の中になったから、同じような人に有益な情報を私が持っているとしたら検索で辿り着いて勝手に知っていくだろう、と思って。
私がどう思って文章にしているかは一切関係なくて、読んだ人がどう受け取るか、文章はそれのみが正解なんだろうなと思う。
同じ人間が読んでも、日にちが違えば受け取り方は変わってくる。
自分が同じ本を読んでも10代の時の感想と40代の時の感想が違うように。
読んだ人が置かれている状況、その時の心情、読んだ時間帯、年齢、経済状況、健康状態によって、同じ私の文章は好ましい文章な時もあれば不快な文章の時もある。
すわ不幸の手紙かと受け取った封書を開ける前と、読んだ後でこの文章を綴っている私が、同じ人間でも抱いた感情は真逆なのと一緒で。
私は薄い封書を受け取ればまず「イヤな予感」がするような人間で「トシを取るって不安がつきまとって弱くなるんだなァ」と感じた。
健康状態も回復してて機嫌良く過ごしててペラペラの封書を受け取って「イヤな予感」がするのは、私の過去の経験から得た不安のせいなんだと思う。
はうはず氏の文章から私はそれを受け取った。
はうはず氏が私の闘病記から受け取った感情も、私と似通った感情なのだろうな、と思う。
はうはず氏も私も、もう二度と身近な人の自死に心を痛めたくはない。
私の祖母が自殺した翌年、はうはず氏も友人を自殺で亡くした。
私も知る人物で、フザけたことばかりやっているお気楽で自死とは縁遠いキャラとして真っ先に名前が挙がるようなひとだった。
訃報を知らされた全員が思っただろう「なぜあのひとが」と。
人生も折り返しを迎えるトシともなると、心を痛める経験も増えていき、弱くなる。
私はひとより何もかもの経験が若干早いのかもしれない、挫折とか、身内や知人の自死や、罹患とかもちょっと早いのかも。
だからひとよりそのダメージを若気の至りみたいなノリで乗り越えて来てんのかもしんないな、それかとんでもないアホかのどっちかで。
経験を積む度に怖くなり「イヤな予感」が増え不安になって弱る、それがトシをとるということで、老化とも言うのかも。
でも老化にも二種類あって、老化による人間の変化も二種類あると思う。
弱さを自覚して行動に出す人間と、出さない人間。
今回のように手紙を書いて投函するはうはず氏は、行動に出すひと。
行動に出てないと後悔しそうだから行動に出す、もうあんな思いをするのはイヤだから、て感情で。
そういう風に弱さをさらけ出せる人は大丈夫だと思う、どんな試練が来ても。
心配なのは行動に出ない人のほう。
行動に出さない理由や状況はひとそれぞれだろうけど、弱さをさらけ出せないから強くなるしかない。
つまり弱音を吐かずにいつも強がっていなければならない。
行動に出せたらどんなにラクか、と思う。
人を頼って弱音を吐く、出来そうでなかなか出来ない。
根性を出して誰かに弱音を吐き、覚悟を決めて耐え忍んだほうがいい。
じゃないと壊れるから。
壊れてから元に戻すのってすごく大変だから。
事前に手を打てるようにトシを取ることの大切さは、行動に出せばよくわかる。
運とカンだけでこれまで生き延びてきたが、全てのラッキーまで手に入れたようだ。
私には全てのラッキーを譲ってくれる友がいてくれて何よりである。
「真心のこもったペラペラの手紙をありがとうございますイマドキ不幸の手紙かと思ってドキドキしました」とメールを送ったら、相変わらず一切説明をしない画像ファイルが添付されるいつも通りの返信が来た。
「このひとは変わらないな」と思われる人間は常に成長しているひとで「あいつは変わった」と思われる人間は自分を変えられずに時代の変化に取り残されている。
私より先を生きているはうはずのおいちゃんが「変わらないなァ」と感じるのは、日々の変化に合わせて順応できるひとだからなのだろう。
こんなに変わり続ける変人と20代の時からフザケ合うことが出来、私は恵まれているな。
駅前留学やお茶の間留学を経て時代はリモート留学となっているだろうが、その遥か昔からどうやらロックはお座敷で嗜めたようだ。
弱ったら、ひとを頼って弱音を吐こう。
ひとを頼れるように、行動できる自分でいよう。
そう思わせてくれるはうはず氏からの真心のこもったおてまみだった。
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