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【偏食の成れの果て】ちんちん焼きで量子力学「シュレーディンガーの猫」を解説する

誰からも理解されることのないド偏食の私の最たる食べ物に「ちんちん焼き」がある。
共通語だと「ベビーカステラ」でしょうかね、熱いカステラ。

「ちんちん焼きの熱いのと冷めたのじゃ、甘さが全然違うのよ。全く違う味の食べ物やねん。熱いちんちん焼きは食べ切ってる、残してへんねん。でも1袋単位で見るともうひとつのほうがあるわけやん、冷めたちんちん焼きが。そしたら人々は『残した』と判断するわけよ買ったのが1袋やからやろ?私は熱いちんちん焼きは残してないよ、全部食べたんだから。あの袋には2つの食べ物が入ってんのに、もう1コのほうを『残した』て言わても…てなるけど納得する人がおらんねんから、ちんちん焼きは食べないが最適解やねん」
「なんなんそのシュレーディンガーの猫みたいな考え方」
「へ?なんて?シュ、シュレデ猫?猫がどした?なんで急に猫の種類?」

「密室に猫がいて、ある一定の条件で毒ガスが出て死ぬねんけど、窓とかあるわけじゃないから猫が生きてるか死んでるかは密室のドアを開けるまでわからんやろ?」
「わからんね」
「毒ガスが出て死んでるかもしらんし、毒ガスが出てなくて死んでないかもしらんやろ?そしたら猫が死んでるか生きてるかは観察するまではわからんねん。てことは観察するまでは死んでる猫と生きてる猫が重なっとんねん」
重なってるて何?死んでる猫と生きてる猫の2匹おるん?」
「1匹よ。猫は1匹やねんけど、死んでる状態と生きてる状態が重なってる」
「ん?その重なってるて部分がわからんな」

「検索してみ?シュレーディンガーの猫で。有名やから」
「私のちんちん焼きの偏食はそういう現象てこと?その現象に名前が付いてる、てこと?私のちんちん焼きはシュレデ猫よて言えば通じる現象?」
「ん~現象じゃなくて、考え方かな。シュレーディンガーの猫な。ウマも食べてみないとわからんやろ?」
「だいたい最初の5コまでやな。すごく寒いと5コ目のちんちん焼きは冷めて甘くなってるからそうなると食べれん。その時点でもう熱いちんちん焼きは袋の中には1コもねぇから。だから私は食べ切ってんねん、残してないねん」
シュレーディンガーの猫見てみないとわからんねん」
「うぅむ…ド偏食ちんちん焼きで解説できそうやな…やってみる価値あるかもな」

そんなわけで、今日の今日まで聞いたことも無かった量子力学を私のド偏食ちんちん焼きで解説すべく、まずはそのシュレデ猫とやらを検索。
どうやら「シュレーディンガーの猫」とは実験のことみたいね。
その手順は以下の通り。

中の見えない密閉できる箱と、放射性物質のラジウム、放射線の検出器とリレー装置、ハンマー、青酸を用意。
検出装置がラジウムから出る放射線を検知(50%の確率で検知するよう細工)したらリレーに電流が流れ、ハンマーが青酸ガスの入った瓶を割る。

一定時間が過ぎるとこの実験の結果はどうなるか?
という問いに、結果を見れば「生きてる」と「死んでる」の二択しかない。
でも結果を見て確かめるまでの間に量子力学は「生きてるし死んでる」つぅ決められない不完全な状態があるじゃんかよ、て言ってる。

つまり見て確かめるまでは生きてるかもしんないし死んでるかもしんない状態なんだから「生きた猫と死んだ猫」という状態が「重なり合っている」てのが量子力学の考え方。

「箱を開ける前からどちらかの状態に決まってる」と思うかもしれない。
見て確かめて死んでたら、箱を開ける前から死んでた可能性はある。
でもそれを確認する手段があるか?ないよね。
だったら生きてたかもしんないとも言える。
見るまでは生きた猫と死んだ猫のどちらも存在してたて考えが「重なり合ってる」て部分。

なんとなくわかったかな?
ではこの量子力学を、私のド偏食ちんちん焼きで解説。

初詣参拝道の露店で売ってる焼き立てのちんちん焼き1袋と、元旦の凍てつく寒さ、友人とシェアして食べるために私が半分出す500円を用意。
自販機に寄りかかって待っていたら友人が買って来たちんちん焼きの袋を振りながら近づいて来るので「振るな振るな!冷める冷める!早く食べさして冷めたら食べれんから!」と言って袋を開け一目散に私が先に食べる。

一定時間が過ぎるとちんちん焼きはどうなるか?
という問いに、結果を見れば「熱い」と「冷めた」の二択。
でも食べて確かめるまでの間に量子力学で「熱いなら甘くないちんちん焼きだし冷めたら甘いちんちん焼き」つぅ決められない不完全な状態があるじゃんかよ、て私は言ってるのね。

その不完全な状態の時には袋の中に2コのちんちん焼きが存在してる、つってんの。

凍てつく正月の寒さでは熱いちんちん焼きが冷めていくという条件で、買った時には中が見えない袋の中には熱いちんちん焼きが入ってる。
みんなが認める「生きてる猫」の状態だよね、熱いちんちん焼き。
しかしちんちん焼きがどんどん冷めていくことはみんな知ってるよね、外気温が低いんだから冷めるのよちんちん焼きは。

「生きてる猫(熱いちんちん焼き)」と「死んでる猫(冷めたちんちん焼き)」を見て(食べて)確認する。
見る(食べる)までは全く別の2つの状態が存在してる。
中が見えない箱(袋)の中には2ついる(ある)よね。
生きてる猫(熱いちんちん焼き)と死んでる猫(冷めたちんちん焼き)が。

5コ目のちんちん焼きを食べて(見て)確認した私が言う。
「あ~もう冷めて甘くなってきた~食べれへんわ~」
袋の中には冷めたちんちん焼き(死んだ猫)がある。
熱いちんちん焼き(生きた猫)はないの。

私は熱いちんちん焼き4コと冷めたかけてるちんちん焼き1コを食べたのね。
だから生きた猫は全部私が食べたのよ、つまり袋の中には死んだ猫しかいないの。
でも私は生きた猫を食べ残したことになってる。
同じ猫かもしんないよ?いや、同じ猫だよ1匹しか入れてねぇもの。
でもその猫がだ、生きてるのと死んでるのとでは違うだろ、食べて確認した上で死んでるて伝えたのよ。
生きてるのは食べ切ったし、残してない。

けれども友人は言う。
「まだあったかいけど、ちんちん焼き残すん?」
まだあったかいちんちん焼きを「冷めた」とする私と「熱い」とする友人。
この二通りの感じ方には何ら矛盾はないのだ。
だって私が「冷めてるよね?」て確認したら「ちょっと冷めてるね」て友人は答えるだろうし、友人が「まだ熱くない?」と聞けば「うん若干あったかいね」て言うもん私。
「冷めてはきたけどほのかにあったかいちんちん焼き」てのがあるから、私は熱いちんちん焼きを残したことになってる気がする。

「生きた猫」と「死んだ猫」のどっちかしかないんかな?
「さっきまで生きてた猫」て答えが私にはあって、見て(食べて)確認した瞬間はどっちでもない。
量子力学かどうかはわからんが、確認の瞬間に曖昧さをはらんでんだよね。
生の延長線上に死があって、熱々のちんちん焼きは徐々に冷めちゃうんだから。

シュレーディンガー博士が考案したこの「シュレーディンガーの猫」の実験は、量子力学の考え方の愚かしさを示すためなんだって。
「量子力学という考え方はこんなに変な現象だ」と主張するための実験が「量子力学の根本原理」の説明によく使われるようになってる。

何が言いたいかってぇと「シュレーディンガーの猫」をド偏食ちんちん焼きで解説しようとしたこの文章がまるまる愚かしさを示してる、てコト。
で、何が愚かってぇと、5コしか食べないのにシェアするから半分の500円出すのは高すぎる、てトコ。
「ちんちん焼きは食べない」が最適解なのよ、答えは出てたんだよねもう。

量子力学の根本原理を解説した愚かな文字数が3174文字であったことをご報告いたします、お疲れさまでした。

人生に無駄なことなどない、無駄だと思う自分がいるだけ。

#創作大賞2024 #エッセイ部門

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