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9ヶ月の重み

卒論を出さなければ。

ということで、9ヶ月ぶりに松山に滞在したのが先月末のこと。

最初は、提出日の前日に前乗りして、出すもん出したらすぐ帰るつもりでした。
けれども、なんやかんやで人と会う約束ができたり、『そういえば引っ越しするときに銀行の口座解約するの忘れちゃったな』とか野暮用を思い出したりして、結局1週間近く滞在することに。

行きあたりばったりぶりが久々に発揮されました。ガチガチに堅めるよりは、ね。

なによりも松山に『滞在する』ことが、絶妙な違和感となって心を擽られっぱなしでした。
『宿を取る』『三食すべて外食で済ます』『移動にチャリンコ使わない』
例えばこれらは、松山に住んでいた頃には滅多にやらなかったこと。
いわば"外様"となって約一週間過ごし、それまで住処だったはずの街が、今となっては何となく別の街に感じられたわけで。

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約束や用事の合間は、当てもなく街をうろついたり、久しぶりに(卒論以外の)文章を書いたり、note読んだり、プレゼンの準備をちまちましたり...。

思えば、久々に悠々自適な時間を過ごせていたなぁ。
実家で燻っていると、端から見ると暇している、いわゆるクソニートのように思われるかもしれませんが、実際のところ、アレをやっておいて、コレを買ってきておいて、土日は○○へ行くぞ...などと小間使いに走らされる事が多く、意外とまとまった時間が取れないもの。
(決して文句を言っているワケではないです。まぁニートに片足突っ込んでいるようなものですからね(自嘲))

主婦のお姉様方の、『特になにかしたわけでもないのに忙しい』みたいなのって、こんな感覚なんだろうか(多分違う)。

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そうした中で特に痛感させられたのが、タイトルの内容。

9ヶ月。

これを長いと捉えるか、短いと捉えるかは悩ましいところ。
実際、友人やお世話になった人に久々に会う中でも、ただ街中をうろついている時でさえも、この時間軸に対してセンチメンタルになっていました。

今までカジュアルな格好でしか会ったことのない友人が、スーツ姿で現れた時。

道後温泉の本館が、見たこともない『火の鳥』の防音カバーですっぽり覆われていた時。

元バイト先に挨拶に行ったら、お子さんが生まれていたことを知らされた時。

行きつけのラーメン屋が潰れていた時。

就職した友人が10kg以上痩せた話を聞いた時。

アーケード街がタピオカ屋だらけになっているのを目の当たりにした時。

図らずも、周囲の変化に対するアンテナが、実家にいることですっかり麻痺してしまっていたことをまざまざと感じさせられました。

それに比べ、(いささか体重が増えてしまったこと以外は)まるで変わっていない自分に嫌気が差したりして...。

変わらなければ、何か行動を起こさなければと思えば思うほど、そうした現実に目を背けてしまう自分をどうにかしたいと思い悩む松山滞在でした。


....まぁそんなこと思いつつも、少しだけ懐かしい人々と会い、

散々

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いろいろ

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うまいもんを

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飲んで、

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食べて、

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また飲んで、

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おまけに、念願のnote酒場で出会ったブルワリーに行ってたくさんお話できた、有意義な時間であったことに変わりはありません!
(だから肥るんだよなぁ....)


簡単ですが、今日はこの辺で。

――実家にて――


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