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物欲の連続的な開放について

今年、数年ぶりにブランドもののバッグを買った。ブランドのバッグを買ったのは学生以来で、一気に大金を放出するのと比例して脳内のアドレナリンもどばどば放出された。なんという享楽。

それは今年で結婚5周年を迎える我々の記念、つまり夫への贈り物も兼ねていた。彼はぼくより4つ年上で、交際当初は社会人と学生だったから、必然的にデート費用だとかは彼が多く払ってくれていた。節目のプレゼント代ももちろん、彼がくれるもののほうが幾分か高価だった。まあ、夫には物欲がほぼ皆無なせいもあるけれど。

だから今年の節目は、ぼくが彼になにかをプレゼントしたい。学生のときは手の届かない価格帯のもので、彼が自分では買い求めないであろう、しかし実用的かつ絶対的に喜んでくれるもの。そういうかたちに残るものが、ぼくたちのあいだには必要とされていた。考え抜いた末に、ぼくはお揃いのバッグを贈ることに決めた。

交際時も、夫にバッグを贈ったことがある。でもそれは若いひと向けのブランドで、現在の夫にはすでに似つかわしくなくなっていた。また、見るからにくたびれていた。もうじゅうぶん値段相応、いやそれ以上の役目を果たしてくれたそれとはお別れをして、そろそろ「一生もの」と表現しても差し支えないものを持ってもいいんじゃないか。なんといっても彼は30代半ばに突入したわけだし。

様々な老舗ブランドを調べて、ロエベのバッグに決めた。ブランド名だけを判断基準にするのではなく、質の良いものを選びたかった。ロエベは革質の良さで有名らしい。型と色の違うクロスボディをふたつ、トープの半月みたいなかたちをしたやつを自分に、ブラックの長方形を彼に購入した。

それを皮切りに、立て続けに高価な買い物をした。貯金を切り崩して。

もともと浪費癖の傾向があるから、普段は人一倍支出に気を配っている。趣味に費やすのは収入に見合うだけの額に留め、残りはNYダウだとか積立だとかに回していた。今年はそれをほとんどしなかった。母から(いずれどこかで書くと思うけど、今年の夏ごろから彼女と再び交流を持つようになった)送られてきたたくさんのブランドもののバッグやら財布やらを大黒屋に持ち込みメルカリに出し、方々からかき集めた商品券を使い、足りないぶんは貯金からおろし、思うさま好きなものを買い集めた。

以前から狙っていたマルジェラの5ACベビー(アイキャッチ画像)とカードケース、バラクータのジャケット、ブランドもののヴィンテージ・ニット、ランコムの化粧下地、トムフォードのアイシャドウ、昔読んだ海外小説の新訳版。総額いくらか考えたくもない。

うつの再発により、今年は仕事を大幅に制限した。せざるを得なかった。ぼくの身体は休養を求めていたらしく、ベッドから起き上がれない日が続いた。昨年の胸オペ以降免疫ががっくりと下がってしまったことも原因だろうが、こんにちに至るまで3回も風邪を引き、そのいずれも長引いた。ついでに喘息まで再発した。幸い咳喘息に留まっており、まだ本格的ないわゆる気管支喘息にまでは達していないけれど。

それゆえ収入も激減した。それなのにぼくは、物欲に抗うことができなかった。理性はそれを凌駕し、ぼくは良心の呵責のようなものと減っていく通帳の残高に胃を痛めた。それでも、買い物を止めることはできなかった。どれもかなり長い期間「欲しい」と思っていたものだから、そういう意味での後悔はない。ぼくは気に入ったものはわりに長く使う人間なのだ。バッグや革靴、コートやジャケットなんかの中には、10年近く使い続けているものもある。

濁流のように押し寄せる物欲に抗う術を持たぬ自分を──もしかしたら心の奥底では抗う気などなかったのかも──、今日、突然、赦す気になった。天の啓示みたいに、いきなりぼくは、その強大な物欲の意味を知った。

ぼくは栄養を補充していたのだ。

すてきな服と、すてきなかばんと、すてきな化粧品と、すてきな物語。ぼくが心を回復させるにはそれらが不可欠で、それらがなければ呼吸することさえままならない。

だったらもう、素直に心のまま従おう。もともとは抑えられていた欲求なのだ、時がくればいずれおさまる。ぼくはなんとなく、そのことを知っていた。自信というよりも、たしかな事実として。

だいたい買い集めたものは、繰り返しになるけれど、けっして衝動的なものではない。何年もiPhoneで公式サイトと睨めっこして、欲しいなあでも今はまだ手が届かないなあなんてため息をついていたものばかりだ。いずれどこかのタイミングで、ぼくはそれらを手に入れていただろう。そこにはコツコツ貯金して計画的に購入するか、勢いに任せたかの違いしかない。

今日、頼んでいたハリントン・ジャケットが届いた。とある雑誌の片隅にちっちゃく掲載されていた、バラクータのG9、ガンクラブ・チェックのツイードの、限定バージョン。カスタマーセンターに問い合わせても本国のオフィシャル・サイトに問い合わせても梨の礫だったんだけど、熊本で1店舗だけ入荷があると知らせが入り、すぐにその店に電話をかけた。

店主は快く取り押さえを承諾してくれて、入荷次第すぐに東京のぼくの自宅まで郵送すると言ってくれた。そのジャケットがついさっき、手元に来た。

バラクータのハリントン・ジャケット。ツイード生地のガンクラブ・チェックバージョン。

開封し、着る毛布を脱ぎ捨て、部屋着の上からジャケットを羽織る。うん、着丈も身幅も、腕まわりも完璧だ。同じく英国ブランドのバブアーのジャケットを所有していたので、そのサイズを伝えたのがよかったらしい。大きすぎず、小さすぎず、程よいゆとりがある。ジャケットやコートはゆとりがないと終わる。中にニットを着てもたついたら、シルエットは台無しだ。ガンクラブ・チェックも大好きな赤色が効いていて可愛い。それを羽織って姿見の前に立つぼくは、ボサボサ頭でもすてきに映っていた。

活力を取り戻すためなら、たまにはハメを外したっていい。生活が破綻しない程度であれば、ときおりそうした濁流に呑まれる自分を赦そう。それは罪悪でも無鉄砲でもない。自らが真に欲しただけで、それに従ったまでに過ぎないのだから。

(でも今年はもう、ぜったいなにも買わない。ていうか、買えない。)

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