見出し画像

noteへのモチベ喪失問題

タイトルですべて言っちゃってる感あるけれど、最近ぼくがnoteに対して感じていること。まっっっっっじでなにを書いたらいいのか、この1年ほどわからなくなってしまっている。

ライターとして独立する前、壁打ちの毒吐きアカウントとして使っていたころはほぼなにも考えずに脳みその中身を垂れ流していた。両親への怨念、弟への憎悪、だれかへの嫉妬、学生時代に満たされなかったあれやこれや。広告代理店に勤めていたときは煙草を言い訳にしょっちゅう仕事を抜け出して、喫煙所の片隅に座り込んでiPhoneをフリックしていた。

でも今は、ここで書くべきことがわからない。「書きたい」と思う気持ちそのものが枯渇しているわけじゃない。文章欲は相変わらず無限に腹の底の泉から湧き出てくるし、書きたいことも書くべきことも常にストックされている。むしろ消化されずに「積読」ならぬ「積書」状態ともいえよう。ではなぜか。

まずひとつめに挙げられるのは、「書きたい」と思ったとき、“仕事として”書く場所をすでに得てしまっているからだ。ありがたいことにいくつかのメディアで連載させてもらっているし、現在ストップしている媒体にもいずれどこかでまたタイミングが合えば寄稿するだろう。もしくは営業で新たに獲得したメディアの連載枠だとか。

ふたつめは、お世辞にも頑張ってるとはいえないここで載せるよりも、媒体で書いたほうが圧倒的に読まれると知ってしまったから。書いたからには読まれたい。

……ここまでつらつらと書いて改めて、noteに対するモチベーションをほぼ完全に失ってしまっている事実への寂しさを感じている。

仕事の文章と、note。棲み分けをどうすべきか考えるときに来ている。もっとひっそりした個人的なことを書く場所にすべきか、でも個人的なことは結局のところ社会的なことに繋がっていってしまうから、などとぐるぐる考えていて答えが出ない。

読んでくださってありがとうございます。サポートは今後の発信のための勉強と、乳房縮小手術(胸オペ)費用の返済に使わせていただきます。