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「エモい」で済ませ難い感情をどうする。

「すげえ」「カッコいい」最近でいうと「エモい」。
これ以外にもっと自分の心情や感想を一言で表せるような言葉がある。
(やっぱり正確には分からないのであるでしょうとしておく。)
これとっても便利なもので、自分の感情を言語化しきれない時や思考停止している時についつい私の口からは良く出てしまいます。お見知りおきを。
ただここ最近、上記のような状況でこの言葉が出るときに少し考えてしまうことが増えた。

最近でいえば、動物園に行った時の事。
私は物心ついて以降、初めて動物園に訪れました。訪れたいと思った理由は単純に動物を生で見たい特にゾウやライオンなどというそれだけのことで。
そこでみたゾウは想像以上にでかくて。一歩一歩の重量感は流石の迫力でした。そしてライオンはぐっすりと寝ていた。百獣の王も私と同じ動物であると再確認。


そこで多く出た言葉が「すげえ」。果たして何が「すげえ」かったのか。ゾウのサイズが?匂いが?言語化できない何か?一言で済ませるのは勿体ない。そう思った。

行く先々やその瞬間、なぜそれを「思い」・「感じた」のか?
ここに目を背けて「エモい」で終わらせてしまうのは、あまりにも勿体ない。情報や文化で溢れている現代社会において、物事の受け取り方は一人一人多種多様である。自分自身で感じたその感覚を大事にする必要があるとお節介ながら考えるのだ。皆が批判してるから悪い。流行ってるからきっと良い。そんな世論や周りの判断に身をませるのではなく、自分自身の感性に向き合うことが重要なのではと考え始める。


ただ、それにあたっての私の弊害としては「語彙力に乏しい。」これに尽きる。それにやっと気づいたのが21歳の今。本を読んで良いと思った素敵な言葉をそのまま引用してみたり、言葉を頑張って文字に書き起こしたり。そんなことしか今はできないけど一歩一歩、自分を知るためでもあり、外を知るためにも色々なことを吸収できる20代を過ごしたい。


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