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「熟考することは決して成功に導くとは限らない」

お疲れさまです。
年末も迫り、今年は特に時間の早さを感じています。
歳を重ねるにつれて早く感じるのは、老若男女・万国共通だと思いたいばかりです。

今回は、長く考えることについて述べたいと思います。
私は、前回も見ていただいた方はお分かりかと思いますがかなり悩むタイプです。最近はポケモンの新作をパールにするかダイヤモンドにするか。。。2日ほど悩んだ末、小学校の頃に親しみのあったパールを購入しました。

この選択にも関連付くことではあるのですが、熟考の末に導き出した答えというのは果たして「正解」なのでしょうか。答えを導き出すまで様々な情報や過去の経験則などを用いて考えるわけですが、必ずしもそれが正しいなんて誰も分からないしそれが答えのない問いであればなおさらです。


私は昨年から今年の上半期にかけて就職活動に励んでいました。学生のうちに働くことについて考えていなかった自分にとっては難しいものでした。
そんな中でも、悩んだ末に希望の職種・会社へ内定を頂きました。
就職活動中は会社に入ってやりたい事を沢山想像しました。それは社会に出たことのない以上、それは単なる想像でしかありません。少しでも社会に出ることの解像度を上げようと、様々な大人の方に働く事についてお聞きしました。それは一個人の感想であり体感であります。
話を聞くうちに、良い意味で何でもかんでも鵜呑みにしてはいけないという考えが大事だという事に気づきました。
きっと現時点で考えるやりたい事を実際に出来るまでは5ー10年かかると思います。そこの結果に注視するのではなくそこに至るまでの過程(雑務や基礎の部分)を疎かにせず、毎日過ごすことが今の目標です。現実と想像に差ができぬようにする事が、近年の退職理由で多い『ギャップ』というものを無くせるのではないでしょうか。

話は戻りますが、やりたい事を考える時間も熟考に当たる訳ですがそれが必ずしも成功、仕事で置き換えるならそれが必ずその会社でやり遂げられる保証はどこにもありません。
熟考すればするほど、その考えが、選択が正解であると考えがちです。それが正解である理由は何処にもないという事とそれが違った時の心構えを持ち、『自分に期待しすぎない』ことも大事な事なのではと、思いつつも期待はしちゃうのが人間というもの…。




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