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別に壮大なことがしたいわけじゃないです

初めまして!

「最高に楽しい毎日を送る」ために、はまぐりを食べたり、プログラミングをしたりしている大学2年生、chisso です。


突然ですが、夢はありますか?


私にはあります。

哲学観の合う人と、世界を作って遊ぶこと

です。


なんだか壮大だな、と思ったそこのあなた。

今日はあなたに向けて書きます。


結論から申し上げると、

私は、自分の夢が壮大だなんて思ったことは一度もありません。

※終始、私のビジョンの話なので悪しからず。

概念の起点になる


実際、よく言われます。

「壮大だね。」

もしかすると彼らは、こう考えているのかもしれません。

「この人は、大統領みたいな存在になりたいのだろう。」
「この人は、Google のような大企業を作りたいのだろう。」
「この人は、とにかくデカいことをして、世界中の人々に影響を与える人間になりたいのだろう。」

しかし、実際は違います。

むしろ、多くの人々に影響を与えるとか、誰かの人生を変えるとか、自分が死んだ後も世の中に残る価値を生み出すとか、そういうことには全くパッションが湧きません。


私にとって「世界」とは、単なる人々の共通認識であり、それを「作る」ということがしてみたくなっちゃっただけの話です。

世界は人々の共通認識である、ってどういうこと?

そう思う人もいるかもしれませんが、その説明をし出すと今回の内容からはかなり脱線してしまいそうなので、やめておきます。

あくまで、私が世界をそう捉えているだけです。

では、「人々の共通認識を作る」とはどういうことか。

例えば、iPhoneが生み出されたことによって、携帯電話を単なる連絡手段と見なしていた人々の意識が変わり、コミュニティや、情報そのものの概念が変わる。
Uber Eatsというサービスが生み出されたことによって、デリバリー事業を初期投資のかかるものと見なしていた飲食店の意識が変わり、飲食のあり方や、労働そのものの概念が変わる。

このように、私たちの住む地球上では、新しい価値が生み出されることによって、人々の何らかの意識が変化し、既存の概念が変わったり、新しい概念が生まれたりし続けています。
そして、そうした概念の変化や誕生こそが、人々の共通認識を作り続けていると考えています。

つまり、「人々の共通認識を作る」とはすなわち、
概念の変化や誕生の起点になることである、と言えます。

大統領になろうが、Google のような企業を作ろうが、どこかの企業で一社員として働こうが、何かしらの概念の起点になれて、かつその過程が楽しめるのなら、なんでも良いわけです。

手段なんて無限にあるし、それほど難しそうなものばかりでもありません。


むしろ、そんなことよりも哲学観が合う人を見つけることの方がはるかに難しいと思っています。

そもそも、哲学観が合って、私と同じくらいポジティブで、尚且つ同じビジョンが抱ける人なんて、正直いない気がしています。笑。

だから、「夢」なんです。


少し話を逸らすと、

「理想と現実のギャップに悩まされるのが嫌なので、私は現実主義です」

と言う人がたまにいますが、

誰にだって何らかの理想はどこかにあって、それを目指すか目指さないかの違いが、彼らのいう理想主義と現実主義の違いのように思えます。

なんとなく「できない理由」をいろいろ考えて、ありもしないものをそれっぽく分類して〇〇主義に帰属していることに安心するくらいなら、
断然、私は「できる理由」を探していたいです。

最後に。


とにかく私は、「世界=人々の共通認識=概念」を「作る」というゲームで遊びたいだけです。

壮大かどうかには、1ミリの興味もない。

それだけが言いたかったがために、つらつらと書いてしまいました。
ここまで読んでくださった物好きな方、ありがとうございました。

それでは引き続き、あなたが素敵な毎日を送れますように。

またお会いしましょう!

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