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企業が責任を負う相手

親の教育によるものか、それともケチな性格だからか、昔から食材を捨てる、お水や電気を無駄にするのに抵抗があった。そんなちょっとした無駄はせいぜい数円、数十円の話でしょ。それで気を悪くしているほうがもったいないと言われることもある。それはそれで理論として成り立つことも理解できるが、感情的にはやはり納得できない。お金はなくなったら稼げば良いが、失われた資源は簡単には戻ってこないといつも思う。結局のところ、そのエネルギーを費用としてみるか、資源としてみるかの問題になる。

これと似たような釈然としない気持ちを持ち続けているのが、企業とは誰のものか問題。この問題も見る側面によっていろんな考え方があるが、一番賛同を得られているものとして、企業は法律上、株主のものだが、係わるすべてのステークホルダーなしには存在し得ないので、すべてのステークホルダーに責任を持つべきと言う割とあいまいな考え方だと思う。

そんな中、「社員をサーフィンに行かせよう」という本にすっと腹落ちする一文があった。

企業が責任を負う相手は、本当のところ、だれなのか。顧客か。株主か、社員か。
そのどれでもないと我々は考えている。企業は、本来、資源の基盤に責任を負うものである。
健全な環境がなければ、株主も社員も顧客も存在し得ないし、企業も存在し得ないからだ。

これはパタゴニアが2004年に展開した広告から引用した一文で、まさにその通り(!)のように思えた。これからのブランドはストーリーが大事とよく言われるが、このように自分の意志を語り、そしてそれを実行していくのはまさに最高のブランド構築のように感じた。一方、短期利益を損なう施策を実行できるのは、創業者オーナーかつプライベート企業だからこそ出来ることなのかなとも思えた。

いずれにしても、ブランドロイヤリティーを高めると同時に、これからの働き方にも示唆を与えてくれた一冊であった。パタゴニアという企業のさまざまな側面に言及しているので、多くの人に読んでほしい一冊でもある。


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