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AIが十分に進化したら理系は必要か

表題は以下のリンク記事を読んだときに感じた疑問である。

記事の内容を簡単にまとめると、今後はAIと共に働くことが必要であり、文系人材もこれからは、AIを活用するための最低限の知識を身に着けていかなければならない。もしくは、最低限の知識さえ身につければ十分に活躍できる。

確かにこれは一理ある。だいぶ昔になるが、AIが初めてチェスの世界チャンピオンに勝った時、さまざまな意見が飛び交っていた。しかし、今では「人間とAIがチームを組んだほうが強い」ということが定説になった。

一方、シンギュラリティ以降のことを考えた場合、逆に理系は必要なのだろうか。私は文系・理系という分け方自体あまり好きではない。強いて分けるならば、文系は目的、理系は手段になるのではないのだろうか。

文学、哲学、神学の学ぶ対象は往々にして人生そのものであり、人は何のために生きるかを探求する学問である。数学、物理、化学は自然界の真理を解き明かすための学問ではあるが、人間がよりよく生きるためにどのように活用できるかに重点が置かれる。私が学んだ経済学は何ともあいまいで、個人的には理系と分類すべきだと感じる。

このように考えると、シンギュラリティ以降かつAIは引き続き人間のために働いてくれると考えるならば、人間の主たる活動は自分の生きる目的を定義することになる。なぜなら、実行可能な手段はすべて優秀なAIが提供してくれるから。

シンギュラリティはいつ起きるかを言い当てるのは難しい。早ければ20数年で起きるという人もいる。今生きている多くの人がそれを経験するだとしたら、自分の生きる目的についてもっと真剣に考えるべきではないだろうか。自分も含めて、日々の喧騒に乱されて、十分にそれを考える時間が取れていないのではないだろうか。

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