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アメリカの黒人差別はなぜ根深い?

アメリカ各地で、アフリカ系アメリカ人への差別の撤廃とともに、警察の在り方を問う抗議デモが続いています。警察に暴行され死亡したジョージ・フロイドさんの事件に関わった警察官全員が逮捕されましたが、彼らが起訴され、有罪判決になるかどうかは、また別の話です。事件が起きたミネアポリスでは、今回の事件のように膝を使って市民を捕らえることを禁止と定める法律の成立に向けて動いているなど、声を上げていることが無駄じゃないんだと思える変化も少しずつ起きています。日本を含め世界中でも黒人差別への抗議運動が広がっているのには、社会が変わろうとしているのを感じます。

今日6月19日は、「Juneteenth(ジューンティーンス)」、「Freedom Day(フリーダム・デイ・自由の日)」、「Emancipation Day(イマンスペーション・デイ・解放の日)」と呼ばれ、奴隷として連れてこられたアフリカ系アメリカ人が本当の意味で自由になった日として主に彼らのコミュニティーで祝われてきました。もう少し詳しく説明すると、1963年に署名された奴隷解放宣言の後も奴隷制度が続いていたテキサス州のガルベストンで、南北戦争で勝利した北軍の将軍ガードン・ガードナーが南北戦争の終結と奴隷制度解放を改めて宣言した日が1865年6月19日だったことから、この日が重要な日となっています。テキサス州ではこの日が祝日なのですが、多くの人がそうだったように、カリフォルニア州で育った夫も、渡米して8年の私もこの日を全く知りませんでした。今、Juneteenthを国民の祝日としようとする声が高まっています。

さて、前回の投稿で、アメリカにおけるアフリカ系アメリカ人に対する差別は、社会のシステムに組み込まれていることについて触れました。今回は、私がそのことへの理解が深まった動画を紹介します。

「え?黒人への差別ってもうずっと昔になくなったんじゃないの?」

と思った方。なくなってないんです。奴隷解放宣言や公民権運動などにより公共の場での人種分離を禁止、人種や民族に基づいた雇用の禁止、学校などでの人種差別も禁止とされました。公民権運動からは60年近くが経とうとしているけど、彼らに対する偏見は根深く、また社会の仕組みや制度が白人が優位に立てるようにできていて、アフリカ系アメリカ人がステータスを持てないように計算されています。

この動画は、アメリカにおけるアフリカ系アメリカ人への社会的な差別をシンプルな言葉で説明しています。4分半の動画で日本語字幕が付いています。

次の動画は、アフリカ系アメリカ人の親が幼い頃から子どもに言い聞かせることを、親と子どもの対話形式で撮ったもの。こちらも日本語字幕付きです。

「警察に職務質問されたら絶対に逆らわない」、「銃を持っていないことが分かるように手を挙げる」、「免許書の提示などを求められたらポケットに入っているから取っていいか聞く(そうしないと銃を探していると疑われ、銃殺されるから)」、「身なりを整える、車や自転車の手入れをきちんとする(いらぬ嫌疑をかけられないように)」など、社会の秩序を守る存在のはずの警察が、肌の色だけを理由に自分を標的にする理不尽な現実を幼い頃から叩き込まれる子どもたち、正義を教えてあげられない親の辛さが伝わってきます。

Black Lives Matterと黒人差別の撤廃が叫ばれる今、その反対意見として、All Lives Matter(すべての人の命が大事)や、Blue Lives Matter(警察の命だって大事)というような意見もあります。すべての人の命や仕事が尊重されるべきという考えは、Black Lives Matterを掲げている私たちにももちろんあります。でも今はそれに焦点を当てる時じゃなくて、これまで声をあげ続けても届かなかったアフリカ系アメリカ人の想いを聞いて、勉強して、社会が変わるために何ができるかを考える時なのです。このタイミングでようやく広く認識された彼らの声に、今こそ焦点を当てようよ!と言っているものなのです。

Black Lives Matterと叫ぶことは決して過激なことではなく、この問題は、自分の立ち位置を選ばないといけない問題です。ニュートラルでいること、学ぶことを放棄することは、差別の継続を容認しているのと同じことと同じです。

冒頭写真は、2週間前にロサンゼルスの中心部から車で30分ほど北にある街、Altadenaで行われた抗議デモに参加したときの様子。デモの後半には8分46秒の黙祷がありました。これは、ジョージ・フロイドさんが「息ができない、母さん助けて」と叫ぶなか、誰にも助けてもらえず、白人警察官に膝で首を圧迫され続けた時間。ただ膝をついて黙祷するだけでも長く感じる約9分間。彼はどれだけの苦痛と絶望を感じたか。肌の色だけで嫌疑をかけられ、釈明の余地もなく殺される。アメリカに住むアフリカ系アメリカ人には、これがいつ起きてもおかしくない「日常」なのです。

コロナウィルスによる隔離生活を続けているなか、ここの場所に足を運ぶのは正直迷いましたが、今アメリカで起きていることを、この国で生きていく娘たちにも肌で感じて欲しい、それが彼女たちがこの問題に向き合う時の指針になればいい、そして自分も理解を深めたいと思い、参加しました。彼らの叫びにも近い想いを聞き、無知や見て見ぬ振りがこの差別を長引かせたんだと改めて感じました。黒人差別や人種差別について私が学んだことを引き続きここでシェアしつつ、娘との間で始めた人種や差別についての対話も紹介していきたいと思います。

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