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罪と女王(感想)_アンネのことを、自分とは違うと突き放せるのか

『罪と女王』は2020年日本公開の映画で、監督はメイ・エル・トーキー。
予告編の時点でおよその展開を予想していたのだが、かなり暗いテーマの映画で、幸せな気持ちになれる映画ではない。むしろ鑑賞後に嫌な気持ちにさせられる映画だった。
嫌な気持ちにさせられる主な原因は主役のアンネの行動に抱く嫌悪感となるのだが、それ以外の要素を含め、具体的にどこが問題だったのかを紐解いてみる。
以下ネタバレを含む感想などを。

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児童保護を専門とする優秀な弁護士のアンネは、優しい医者の夫と幼い双子の娘たちと美しい邸宅で完璧な家庭を築いていたが、夫と前妻との息子である17歳の少年グスタフが問題を起こし退学になったため、スウェーデンからデンマークに引き取ることに。
グスタフは衝動的な暴力性があり家族に馴染もうとしなかったが、そんな子供達と仕事で常に接しているアンネは根気よく彼を家族として迎え正しい方向へ導こうと努める。しかし、グスタフと少しずつ距離を縮めていくうちに、親密さが行き過ぎてしまい、アンネはグスタフと性的関係を持ってしまう。
そして、そのことが大切な家庭とキャリアを脅かし始めた時、アンネは残酷な選択をする-。

未成年のグスタフを利用した

アンネの犯した罪を3つに分けてみた。

①未成年を誘って不倫
②グスタフと不倫したことを認めない
③追い詰められたグスタフを突き放した

まず「未成年を誘って不倫」をした、一つ目の罪について考えてみる。
アンネの方からグスタフを誘っているため、夫のペーターへの不貞行為となり、離婚を突きつけられても言い訳をできないし、二人の娘に対しても不誠実だ。

そして、自らの欲望を満たすために、まだ若く判断力に乏しいグスタフを利用したことは、アンネの方が社会的地位や信用が上にあることを考えると、とても身勝手な行為となる。
アンネには現在の家庭を捨ててまでグスタフとの関係を続ける覚悟はない。グスタフに高性能のノートPCを買い与えるが、それはある種の口止め料の意味合いもあったのだろう。

グスタフの立場を考えたとき、学校を退学になった経緯があって引き取られてきたので、この家はグスタフにとって家族との絆を形成する最後の居場所でもあり、不倫が露見したらグスタフがこの家に居づらくなることは容易に想像できたはずだ。

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アンネがなぜ欲望を抑えられなかったのか、直接的に説明されることはないのだが、夫のペーターが友人を家に招いた際、アンネがSoft Cellの「Tainted love」を流し、酒を煽りながらゆったりと踊るシーンが象徴的に挟み込まれる。
この曲の歌詞を意訳すると、”汚れた愛を終わらせようとして片方が逃げ出す”ような内容になっており、自己主張の激しい性格で、歳は取ったがまだひとりの女としてありたいと強く願うアンネにとって、平穏な生活だけでは満たされない心の隙間があったことが想像される。

保身のため、不倫を認めない

二つ目の罪、「グスタフと不倫したことを認めない」ことについて。
従姉妹のリナに関係を見られたことをきっかけに、グスタフを突き放しはじめるアンネは、ペーターから不倫していたことを問われも、激しく逆上し否定する。

グスタフとの関係が続いていた頃、カセットテープに録音しながらいくつかの質問に受け答えていた際、一番恐れていることを問われたアンネは「全てを失うこと」と回答していた。
不倫が露見することで夫と二人の娘に囲まれた現在の暮らしを失いたくないというのは本音だろう。もしも、グスタフとの関係を認めてしまったならば、立場的に不利なアンネはそれらの裕福な暮らしを失いかねないことを知っていた。

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グスタフの窃盗の件を打ち明け、証拠隠滅のためにカセットテープを回収、さらに不倫話をアンネとペーターの仲違いをさせようとしている、と話をでっち上げるあたりに優秀な弁護士として働くアンネの頭の回転の早さが伝わってくる。
さらに狡猾で支配的なアンネのことだから、強引な態度を取ればペーターが自分に従い、結果的にグスタフを追い出せるという考えに至っていたことが想像される。

突き放して、救済しない

そして、三つ目の罪「追い詰められたグスタフを突き放した」ことについて。
アンネは児童虐待を受けた子供たちを救う弁護士なので、グスタフと同じような家庭環境に恵まれない子どもたちを数多く見てきたはずだ。たとえ自殺を避けられたとしても、家族から追い出されたグスタフの将来が明るくないことは知っていたはずだ。

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つまり、行き場を失った子どもたちが最終的にどういう結末に行き着くのか、どうして真剣に想像しなかったのかと、もしくは想像出来ていたのに突き放したならばさらに残酷だ。

家族との交流を絶たれ、真実を認めるようにやって来たグスタフを追い返すために脅迫とも取れる態度は虐待そのものだ。
私個人としてはアンネの取った行動では、これが一番酷いと思った。「不倫したこと」「不倫を認めないこと」は保身のためだとわかるが、児童虐待の専門家であるのに、罪を共有しているグスタフのために救済措置を取らないアンネに共感出来きない。
罪を認めるのは正しいことだが、それが出来ないのであれば、せめて不倫したことを家族に隠しながらであっても、グスタフを救う行動は取れたのではないかと思う。

アンネの行為は本当に他人事なのか

この映画を観終えたあとに抱いた嫌な気持ちについて深堀りすると、全面的にアンネを悪者にすれば済まない要因もあると考えている。

聡いアンネのことだから、グスタフとの不倫が「正しくない行為」ということは、当然理解していたはずだ。
しかし、何が正しいのかを理解していたとしても、実際に自分がその境遇に立ったときに、「アンネと異なる行動を取れないのでは」という恐怖を感じさせる気味の悪さがある。
つまり、「満たされていない」気持ちを抱いているタイミングでアンネと同じような境遇に陥ったときに、バレなければいいと思って、同じような行動を取ってしまう”弱さ”が私にも周囲の身近な人びとにもあるのではないかという不安だ。
正しい行動を取れるためには、よっぽど普段の生活に充足感を感じていたり、非常時に冷静な判断力を持てる力を持っていなければ、現実にはアンネと同じような取ってしまうのではないかと考えさせられるのだ。

自分の取った行動の結果を予測し、想像するのは、普段から心がけていたとしても、とっさに判断するのは難しい。
アンネにしたって、グスタフが死ぬところまでは予想していなかったし、そこまで期待するような非情な女ではないだろう。また、ペーターもどこかでアンネの嘘に気付いていたのに何も出来なかった。

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対面でのリアルなコミュニティがどんどん減っていき、在宅ワークが増えたここ1年で、家庭内に閉じた環境が成立しがちな現代では、親による家庭内暴力の数が増えているというニュースも耳にするが、家族のなかで強い立場にいたアンネが支配的に行動していたという面がよく似ている。

こうした、アンネのことを他人事と済ませられない怖さも、この映画から得られる嫌な気持ちの原因であり、英原題は、"Queen of Hearts"とあるが、アンネは家庭内で、自分よりも弱い立場の人間を思いやれない女王だった。

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