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開校100年 きたれ、バウハウス_均整のとれた機能的なデザイン

東京ステーションギャラリーで開催中の『開校100年 きたれ、バウハウス』へ行って来たのでその感想などを。
まず、いわゆる絵画や写真を感覚的に楽しむような展示を想像していると期待はずれかもしれない。バウハウスの設立された1919当時の急速に発展した工業化社会への知識または建築や工業デザインへの理解が無いと、『バウハウス以後』の影響力に共感すら出来ないと思われる。また、授業課程で利用された習作なども展示されているため、会場内の紹介文や図録を読んで理解しないと展示意図も理解しづらいため、自分には難解な企画展であった。

ヴァルター・グロピウス『学校便覧_教師と教育カリキュラム』1922年

写真や印刷物から家具、建築まで幅広い

大まかなな展示の流れを紹介すると、最初に教育過程を表した円形の図や機関紙『バウハウス』、カンディンスキーやパウル・クレーなどの授業課題などが紹介されている部屋がある。
別室へ移動するとレタリングや人体デッサンなどが展示されており、階段を降りると、マルセル・ブロイヤーによる椅子や丸テーブルなどが展示されている。紅茶器セットや彫刻なども紹介されており、後半はバウハウスへ留学した日本人による作品展示となっている。

機関誌『バウハウス』

ポスター2枚

ヨースト・シュミットとフリッツ・シュライファーのポスターはミニマル・テクノや音響系のビジュアルのようで親近感を持てるし、展示されているシンプルな構造の椅子などの美しさは見ていて飽きない。「バウスピール」も色合いがカラフルでありながら下品な感じになっておらず、玩具としての機能を持っているのも良い。
しかし、残念ながら自分には理念、教育方法や活動成果の話しをされても内容の理解についていけないことがあった。研ぎ澄まされた機能美には余計なものが無いために簡単に製造されたように見えるというのもあるだろうがそれだけでは無いと思われる。

バウスピール

バウハウス宣言から、設立の意図を考える

図録に掲載されたいた、1919年に建築家ヴァルターグロピウスによって起草された「バウハウス宣言」を引用してみる。

すべての造形活動は究極にはBauをめざす!Bauを飾ることがかつて造形諸芸術の主要な課題であり、それら造形諸芸術は壮大な建造(芸)術(Baukunst)の不可分の存立部分をなしていた。今日それら諸芸術はそれぞれの固有性に自足してしまっており、諸芸術がそこから再び抜け出すことは全労作者たちが意識的に協働し互いに働きかけあうことによって初めて可能となる。建築家、画家そして彫刻家はBauの多岐にわたる影響をその全体性とその細部の両方にわたって通暁し把握することを学ばねばならず、そうすれば彼らの作品は、サロン芸術の中で失われていた構築的精神に自ずから満たされることになる。

少し理解しづらいので、意訳してみる。
「絵画や彫刻であっても造形活動の最終目標はBau、すなわち建築である。絵画や彫刻などの諸芸術はそれぞれの分野で発展しているが、最終目的が建築である以上、それぞれの制作者は互いに協働するべきで、全体を俯瞰し細部まで把握しなくてはならない」ということだろうか。
サロン芸術というのが具体的にどういうものを指すのかは分からないが、芸術が建築に集約され、なおかつ無駄な装飾を廃して合理的な機能性と美しさを両立させる哲学が当時としては画期的なことだったのかもしれない。

また、バウハウス特集を掲載していた2000年11月号のカーサ・ブルータスも引用する

もしバウハウスがあのまま、デッサウに、あるいはベルリンにとどまることを許されていたとしたら、皮肉なことだが、今日の芸術、建築教育において、バウハウスがこれほどに力を持つことはなかったかもしれない。ハーヴァード大学とイリノイ工科大学で教壇に立ったグロピウスとミースは、その後のアメリカ建築界に強大な影響をもたらしたし、彼らのみならず、世界に散ったバウハウスラー、そして彼らの建築家たちは、20世紀の建築界をリードする存在となったのだ。

カーサ・ブルータスに書かれている通りであれば、バウハウスで学んだ人々や教える側にいたグロピウス、ミース、クレーなどのその後の功績を知識として持った上で展示内容を見ないと、片手落ち感があると思われる。
自分にそういう知識の無いことは残念だった。

現在とは違うまったく異なる制作工程

さらに、ポスターや家具など当時と現在では制作工程や求められるスキルがと違っているため展示されているモノの技術的な凄さを理解しづらいということもある。

紙による素材演習

ポスターひとつをとっても、原案は手描きで作業を完結する必要があるため、ムラの無い色ベタや真っ直ぐな線を描くことにも技術的な習熟が求められていたと思うのだが、DTPが普及したことによってそういう技術は求められなくなっている。範囲指定して指定すればベタ色は塗れるし均一な太さの直線に技術など求められない。椅子や茶器などの造形にしたって同様で求められるスキルが当時とは大きく変わってしまっていることだろう。
つまり、当時の工程を想像しづらいこともあってイマイチ展示物の凄さを理解出来ないというのはある。いずれにせよ、冒頭にも書いたが『バウハウス以前』と『バウハウス以後』の理解や知識を持っていないと、展示内容の凄さに共感しづらい展示内容なので自分には勉強が必要だな、と思ったので図録を見直すか。

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開校100年 きたれ、バウハウス_02



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