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さよならを教えて(感想)_狂気とユーモアの境界が曖昧なノベルゲーム

『さよならを教えて』は、2001年3月2日にCRAFTWORKから発売したノベルゲーム(公式サイトの紹介ではファナティックアドベンチャーノベル)で、当時の対応OSはWindows95/98/2000/Me、CD-ROM形式となっていた。

2021年は発売から20年目ということで、トーク&ミニライブイベントを予定しているらしく、偶然最近プレイし直していたので、以下にネタバレを含む感想などを。
なお、このゲームはオチを知ったうえでプレイすると、かなりその魅力が損なわれると思うので要注意。

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人をくったようなプロモーションと、自由すぎる作風

・現実と虚構の区別がつかない方
・生きているのが辛い方
・犯罪行為をする予定のある方
・何かにすがりたい方
・殺人癖のある方

パッケージにはこれらの項目に該当する方は購入しないように、という但し書きが掲載されており、煽り文句としては個性的なプロモーションだった。

日常シーンのほとんどが夕方に進行するのと、濃いタッチのイラストで描かれた濃厚な夕焼けのシーンが多く、エンディングは一般的なハッピーエンドと異なるため、「鬱ゲー」「電波ゲー」と紹介されることもあるが、実際にはグロテスクな作風の下に哄笑を誘うようなブラックユーモア満載のノベルゲームだと思われる。
どういうことかと言うと、本作の主人公、人見広介(以下、親しみを込めて人見くん)がツッコミ不在でひたすらボケ倒しているゲームと捉えてプレイすると、かなり笑いどころが多い。

また、人見くんは一般的にタブーとされる性癖を発揮する(近親相姦、獣姦、死姦など)ため、18禁ならではの比較的自由な作風となっているのが特徴的だが表現はかなりライトなため、とっつきやすい。
これらのタブーをテーマにしたうえで、リメイクされているわけでもないのに、20年後にイベント開催するようなノベルゲームということ自体が希少。

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教育実習の暗い日常が、徐々に崩壊する

人見くんは教育実習生として日々女子校へ通っているのだが、精神的に追い詰められており、天使が怪物に蹂躙される悪夢を繰り返し見ている。そうして保健室で一服しながら、悪夢のことを保険医の大森となえに相談するようになる。
日常シーンに授業風景の描写がなく、いつも夕方から始まる。そうして人見くんは保健室へ立ち寄った後には必ずトイレでひとり白い便器を見つめ、5人の女生徒たちとの会話後、教育係の高島瀬美奈へ日誌を提出すると一日が終わる。

女生徒たちは暗い経験や過去を背負って生きており、人見くんと悩みや苦しみを共有して交流を深めていくことになるのだが、保険医の大森となえ、教育係の高島瀬美奈、女生徒の巣鴨睦月との会話には、僅かだが会話のすれ違いや、単語の聞き取れないことが発生する。
オチを言ってしまうと、人見くんは統合失調症による入院患者であり、上記3名以外の女生徒(高田望美、目黒御幸、上野こより)は人見くんによる妄想によってつくり出されているため、実在しない。そのため、実在する3人との会話にはズレや、妄想から現実に引き戻す単語が聞き取れないことになっている。

それにしても、病院であれば男性患者もいると思われるのだが、設定が女子校になっているのはどういうことなのか。男性は人見くんの視界には入らないということなのか。

日常からの現実逃避

主人公は、とある女子校に通う教育実習生。
実習期間を無事に終え、正規の教員になるのが彼の目的だ。
だが、彼は精神的に疲れきっていた。

不安、緊張、対人恐怖……そして、日々襲いかかる悪夢。
放課後の校内で出会う少女たちに対する、恐れ、愛着、情欲。
同僚である大人の女たちに対する、嫌悪感、依存心、禁忌感。

――こんな自分が本当に教員になどなれるのか?
悩む主人公に襲いかかる、義務感と重圧の日々。
彼は、夕映えの放課後を彷徨い続ける。

公式サイトの紹介は上記のとおりなのだが、これは人見くんの妄想世界そのままに紹介されているため、プレイヤーにミスリードさせる仕組みになっていたわけだが、このゲーム中で体験するほとんどが人見くんの妄想だと気付いた後に、改めて人見くんの行動や思考を俯瞰してみるとかなり笑いどころが多い。

共通_はじめて瀬美奈

実の姉である瀬美奈のことを、苦手意識から「教育実習で初めて会った」と言っていたり、田町まひるのことを小動物、高田望美を烏のような少女だと描写するのだが、そりゃそうだ。それぞれ子猫と烏そのものなのだ。

初回プレイ時には何らかの比喩表現なのかと思ってテキストを読んでいたのだが、そのままだったというオチを分かったうえで見返すと、もはやツッコミ不在で人見くんがボケ倒している「人見くん劇場」といっていい。

諧謔のなかに、共感出来るリアリズムがある

廊下

本作の魅力は、妄想世界と現実世界の境界が曖昧になっているシナリオ全体の構造だけではなく、人見くんの抱える苦痛や悩みが他人事で済ましがたいところにあると考えていて、「モラトリアムからの脱却、ミソジニー、タブーとされる性癖」など、誰かに相談しづらいような悩みに対しての同情または共感を感じさせるところにもある。
つまり、「マジョリティの常識」と「人見くん固有の倫理観、性癖」とのズレというのは、程度の違いこそあれ誰しもが遠からず身に覚えがあり、人見くんのことを「自分とは異なる怪物(モンスター)」と、真っ向から全てを否定しづらいところにある。

人見くんの現実認識は破綻していて滑稽だが、思考はだいたいにおいてはクリアであり、歪んではいるものの、独自のルールに沿って行動しているので筋が通っているから妙なリアリティがあるのだ。
優秀で威圧的な姉の存在との比較や、真面目すぎて融通のきかない人見くん自身の性格という要因は、同情すべき部分であり人見くん自身の責任と突き放しづらい。

何から”さよなら”したのかと、指摘したくなるオチまで楽しめる

人見くんはヒロインたちと”さよなら”(教育実習という妄想からの決別)を行う前に、とある儀式を行うのだがこのシーンで描写される人見くんの感情の昂るシーンが好きだ。

「があああああああぁぁぁぁぉあぁっ!!」
 僕はさらに大声で叫ぶ。
 とても冷静だ。使命感と、至って論理的な焦燥感だ。
 僕を中心に回っている夕刻の大気の渦が、その回転を加速させていく。
 夕日は悪意を持って僕を照らすが、怖くはない。決して怖くはない。
 校舎に取り付けられた大きな時計は時を示さない。
 時は示さず、2本の針の角度を微妙に調整し、僕に複雑な司令を送って来ている。
 僕はその司令に頷く。

「僕のなるべきこと…」
 僕は小声で呟き、それから、時計に向けて複雑なブロックサインを返す。
 おそらく、時計はその意味を理解することだろう。
 僕は僕のなすべきことがある。カタを付けねばならないことがある。

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「怖くはない。決して怖くはない」のあたりに、気持ちが昂ぶって自身の英断に酔っている感じがひしひしと伝わってきて、人見くんが自らつくりだした教育実習生という妄想世界、即ち女生徒たちと決別する覚悟が伝わってくる。

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ブロックサインを駆使した時計とのコミュニケーションは、人見くんにとって、まさに「その時がきた」ということなのだろう。ここまで演出しておくからには人見くんが現実と向き合う覚悟を持ったのだと、プレイヤーに思わせておいてからのエピローグがまた秀逸だ。

確かな足取りで医務室に入ってきて、ここが病院であることを認識し、”さも、現実と向き合えるようになった”と期待させるような会話をしておきながら、実は依存の相手が、女生徒たちから大森となえに変わっただけという人見くん、最後までブレていない。

エピローグ_12

狂気の世界観を盛り上げるサントラ

発売から10年以上経過しているのに、AmazonでサントラがCDで販売されているので数年前に購入したのだが、人見くんの狂気を感じさせる怪しくアングラ臭の漂うダウンテンポな曲調は作業中の音楽として未だに愛聴している。

人見くんがルーチンとしているトイレで白い便器を見つめるシーンのimmobilite et tourbillon 流れとよどみをループさせると、人見くんの一日の始まりの儀式が連想されて、不思議とモチベーションがアガってくる。

また、主題歌comment te dire adieu... さよならを教えてのイントロがシリアス過ぎていつもニヤけてしまう。
殴りつけるように過剰な低音キックの4つ打ちが淡々とリズムを刻みながら鳴っているせいでやたらと暗い雰囲気が出ているのだが、淡々とした歌声と馴染んで心地よい。
脳の断面をヒロインと骸骨で埋め尽くしたカバーイラストも雰囲気に合っている。


サントラ


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