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欲望とはつまり、生きるための気力。『さらざんまい』感想

2019年4月に放送開始の幾原邦彦監督によるオリジナルアニメで全11話。
途中寝かせてしまい、2020年になってやっと全部観終えることが出来た。細かい演出や、さりげないセリフに隠された真実などについては考察されているサイトは他にたくさんあるので、自分はこの作品が2019年に放映された意味について考えてみる。


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作品のキャッチコピーは『つながっても、見失っても。手放すな、欲望は君の命だ。』とある。この作品のテーマが時代を反映したメッセージを内包しているならば、つながりはスマホ(LINEやTwitter)によるコミュニケーションによるもので、欲望は世の中の閉塞感(失われた20年や出生率低下)を象徴しているのではと考えた。

外へ出て街ゆく人を眺めていると依存症なのかと思うほどスマホを眺めている人が多い。自分も気がつくと空き時間にスマホを見てしまい、気がつくと1時間ほど経過していることがある。しかもその時間は漫然と目的も無くスマホを眺めているので、暇は潰せるが自分にとって何か残るような有益な情報取得が出来ているわけではなく、むしろ知らなくても良い情報を見ることで時間のムダであったと後悔することの方が多い。
そもそも暇な時間を潰す必要があるのかというと、むしろ暇な時間に思索を巡らせることで良いアイデアや新たな気付きを得ることがあるので、暇は無駄では無いと考えられる。
また、LINEなどのコミュニケーションによって便利にはなったが、直接会って話すことに比べてたら伝わりづらいことの方が(当たり前のことだが)圧倒的に多い。

また、日本の出生率は下がり続けているが、そもそも子供をつくる前に収入の少ない若者が多いので未婚率も上昇し続けている。

18年の出生数91.8万人、最低を更新 出生率は1.42
厚生労働省が7日に発表した人口動態統計によると、2018年に生まれた子どもの数(出生数)は91万8397人で過去最低を更新した。3年連続で100万人を割った。1人の女性が生涯に産む子どもの数にあたる合計特殊出生率は1.42と、17年から0.01ポイント下がった。低下は3年連続だ。晩産化や結婚をしない人が増えている影響が大きい。

首都圏に住む若者は、生きて行くのがやっとというほどの所得で生きていく人が多く、趣味や何らかの欲求を満たすための充分な可処分所得は無いことの方が多い。

つまり、スマホによって人々の繋がりの量は増えているがコミュニケーションは簡略化されてしまっている。そうすると深い議論が行われることが無く「声が大きくて分かりやすい言葉」を使う人間の声が拡散される。
するとどうなるかというと、SNS上に差別用語が溢れて多様性が排除されてしまう空気感が醸成されているというのが現状のだと思う。
さらに、低収入や閉塞感によって本来好奇心旺盛な若者たちが欲望を満たすためのモチベーションを保ち辛くなっているのではと思われる。

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さて、以上のような前提のあった上で話しを本筋に戻す。
『さらざんまい』の中心人物となる、一稀、悠、燕太は中学2年生の男子でそれぞれに人へ話しづらい秘密を抱えている。カパゾンビを倒すことと引き換えとして、3人それぞれに秘密を漏洩することになるわけだが、最終的にお互いのアイデンティティを否定することなく受けていくことになる。

さらに、欲望を剥き出しにすることによって、玲央と真武にカパゾンビにされた人間も業が深い。
・盗んだハコを裸で被ることが好き
・大事な人に愛されるため、自分が猫になりたい
・たくさんのキスを釣って、三枚におろすのが好き
・盗んだ残り湯でそばを作りたい

これらの欲望がどうしようも無いのは事実だがしかし、社会的に許容されるような欲ばかりだ。
そもそも、家族や親しい友人に言えないことを秘密を持つことなど誰にでも当たり前のことで、親友だからといて全てを打ち明ける必要は無いし分かってもらう必要も無い。

それでも、どうしても言いたければ言えば良いだけの話しであり、他人に伝えたところで相手に理解されなければ却って傷つくことになる。その辺りについては最終回で吾妻 サラによって語られている。

吾妻 サラ:「忘れないで。喪失の痛みを抱えてもなお、欲望を繋ぐものだけが未来を手にできる」
春河:「わかったよ。僕が選ぶんだ。僕は僕の選んだものを信じるよ。大切な人がいるから悲しくなったり嬉しくなったりするんだね。そうやって僕たちは繋がっているんだね」

"欲望"というと聞こえは悪いが"欲望"とは、この場合つまり、「生きる気力」のことだと思うのだ。(ちなみに「生きる理由」では無い。理由が無くても結局のところ死ぬまで生きなければならないのだから)友人、家族や誰かとの繋がりでも、趣味でも何でも良い。自分が楽しさを感じられたりや好きだと思えるコト、モノ、ヒトを自覚しておくことが大事なのだ。そうして自覚したことを自分だけは大切にするのだ。

社会性を持って生きていく以上、他人との関わり無しに生きることは出来ない。そうすると誰にも迷惑をかけずに生きていくことは不可能だ。(ネット上で顕になる迷惑行為はとことん叩かれるが)


そういう、いかんともし難い事情を飲み込んで、お互いに許容しながら生きていくことを、2019年にアニメ作品としてパッケージングしたのが『さらざんまい』というアニメのテーマなのだと考える。
結局のところ、スマホの無い時代に逆戻りなんて出来ないし日本の出生率は下がり続ける。でも、「欲望と愛は失うな」と頭ごなしに言ってくれているのだ。


と、ここまで長々と暗い話しを書いておいてアレだが幾原邦彦作品の一番の楽しみ方は、ストーリーを真面目に楽しむというよりは舞台芸術のようにキャラたちが躍動する演出やセリフまわしを、何も考えずに楽しむものだと考えているので、以上のことはこじつけでしか無い。

さらに余談だがスカイツリーで開催されていた幾原邦彦展にも行ってきた。過去作品のポスターや原画などが展示されていたのだが、ポスターのグラフィック・デザインとしての質が高かった。そういう丁寧なつくりがアニメにも販促物の細部へ反映されていることもイクニ作品の楽しみでもあると思う。

幾原邦彦展

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