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王立宇宙軍 オネアミスの翼(感想)_ロケットを戦争の道具として扱うこと

『王立宇宙軍 オネアミスの翼』は1987年3月に劇場公開したアニメで監督は山賀博之。
2022年には4Kリマスター版でのリバイバル上映していたりと、根強いファンがいると思われる。アニメにしては堅苦しいテーマだし、落ち着いた雰囲気の森本レオの声には何回見直しても違和感を感じるけど、細部まで描き込まれた画面は見どころが多くて印象深い作品。
以下、ネタバレを含む感想となどを。

戦わない宇宙軍

架空の惑星の赤道に近くにあるオネアミス王国で、王立宇宙軍に所属する青年士官シロツグ・ラーダットが宇宙飛行士となって、世界初となる有人人工衛星を打ち上げるという物語。

宇宙軍の正装は男でもスカートで、これがスコットランドのキルトのようであり、市場や繁華街の猥雑な雰囲気は東南アジアみたいだったり、さらに店先ではターバンを巻いた女性がつくりものの怪物の掌で誘っていたりと、様々な国の文化が混在したような雑多な世界観はよく練り上げられていて見返す度にこれは現実だでは何の模倣だろうかという好奇心を刺激される。
時代設定は、戦車や戦闘機は登場するけどもテレビは白黒だから技術進歩的には20世紀前半の先進国に近い。

宇宙軍といっても名ばかりの軍隊で宇宙へ行ったことすらないから隊員たちの士気は低く、度重なる実験の失敗などによって目立った成果も出ていない。
シロツグはそんな先の見えない状況に嫌気が差して無気力に日々を過ごしているが、世間は景気が悪いからロクな転職先すら無い。

そんなシロツグが歓楽街の路上で布教活動をしているリイクニ・ノンデライコと出会ったことで心を入れ替え、宇宙を目指すことになる。
最初にこの映画を観たのがいつかの記憶は無いのだが、2時間弱の尺もあるのに男たちが躍起になって人工衛星を宇宙へ上げるためにロケットを打ち上げるだけの地味な話しだから初めて観た時はピンとこなかった。
しかしロケット打ち上げに伴う困難に立ち向かうひたむきさと、細部まで描き込まれた美しい映像も相俟って、見返すごとに発見があって印象深い。

繁栄の裏側で苦しむ民衆

現実の世界同様、ロケットの打ち上げにはいくつもの困難が降りかかってくる。
特に大きな問題として膨大な予算にスポットが当てられる。景気は良くないから日々の暮らしも困難な市民にとって、金のかかるロケットの打ち上げはむしろ生活を圧迫する税金も投入しているはずで、反対集会も起きている。
王国貴族がロケットを外交の駒にしているのも、民衆の不満の矛先を戦争へ逸らそうとしているのかもしれない。
また、シロツグは国の英雄として持て囃されており、打ち上げとは関係の無さそうな広報活動への協力などから、資金集めまたはメディアなど一部の人々から都合よく利用されていることがうかがえる。

過去に実験中に死んでいった仲間や反対勢力もいるなか、多大な犠牲を払ってまで宇宙を目指す使命を問われ、意見を求められたシロツグは回答出来なずに逃げるようにしてリイクニのもとへ転がり込む。
シロツグが当事者だから矢面に立つことになるが、裏で画策している人間は表に出て来ないから非難にさらされない構図は現実とよく似ている。

さらに暗殺者にまで狙われたり、人工衛星を戦争の道具として扱われることになるのだが、それでも人工衛星を打ち上げる理由をシロツグは「歴史の教科書に残るぐらい立派」だと喝破する。
つまり目先の問題だけを考えていたら人類の発展は無く、一見無駄だと思えるようなことでも、誰もやったことの無いような新しいことへチャレンジしてきたからこそ人類が繁栄出来たのだと。

人類が繁栄する負の側面

本作が少し堅苦しい印象を持つのは、人類が繁栄する裏側にある負の側面についても語られるところにあると思われる。

大した成果の無い宇宙軍がロケット打ち上げという膨大な予算をつけられたのは、王国貴族たちの都合によるところが大きく、人工衛星などに興味の無い王国貴族たちはむしろ隣国リマダの国境近くで打ち上げ準備をすることでロケットを奪わせて外交交渉の材料にしようと考えている。
戦争を表現した木彫りの彫刻を前にした将軍とシロツグの会話シーンでの「文明が戦争を生むのではない、戦争によって文明がつくられたのだ」という言葉も興味深くて、戦争を利用して利益を得ている一部の指導層や、さらには思考停止していいように利用されている大衆をも揶揄しているかのように受け取れる。

対して、歓楽街で布教のためにビラを配るリイクニは、京楽的で欲深い人たちを否定するかのようにストイックな立ち位置にいる。

「たまには神様とも適当に折り合いをつけなきゃ」と言うシロツグに対して「あなたのような適当な折り合いが世の中をこんなふうにしたのよ」と、その信念は堅い。
また、そのあとに続くシロツグの「こんなに便利になったさ」は、文明の豊かさを享受して思考停止している多くの人々の気持ちを代弁してしているとも言える。

余裕が無いから兵器を搭載しなかったが、人類同士で争っている限り技術が進歩したらいずれは兵器も搭載されるだろう。それに人工衛星を打ち上げたところで、そこらに存在する貧しい人々の生活は改善されない。
シロツグはリイクニを含むそういう様々な実情を知ってしまったからこそ宇宙に到達すると「赦しと憐れみ」を求める。
このあたりに少し説教くさいところがあってとっつきにくい面がある。
しかし、衛星を打ち上げてハッピーエンドにするのではなく、人類が地球だけでなく宇宙へとテリトリーを拡げる欲深さにスポットを当てて厳かに終わらせたおかげで、余韻のある終わり方になっているのも確か。
物事を様々な立場から多面的に見ることを印象付けられる。


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