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RYU 〜哭きの竜より〜(ゲーム感想)_原作をなぞるだけではないセンスの良さ

『RYU 〜哭きの竜より〜』は、能條純一による漫画『麻雀飛翔伝 哭きの竜』をゲーム化した作品。私がプレイしたのはPC-9801版で、メーカーはウルフチーム。PC-9801版は1990年に発売されたが翌年にはグラフィックなどが変更されたX68000版が発売されている。

漫画を元に制作されたゲームというのは、たいてい漫画の持つ人気にあやかることに胡座をかいてファンを置いてけぼりにしたり、質の低い作品が多かったりするものだが、本作では原作の魅力を存分に引き出しつつ、追体験をさせてくれるゲームに仕上がっていたのがとても印象深い。
以下は、ネタバレを含む感想などを。

牌に己の命を刻む男

原作は麻雀と極道の漫画

元となった『麻雀飛翔伝 哭きの竜』は、哭くたびに桁外れな強運を呼び込む竜という雀士が主人公で、そんな竜の強運を手にするためにヤクザたちが麻雀勝負を挑んでくるのだが、魔性のような強運を求めるヤクザ同士による抗争も同時に激化していていくという展開になっている。

この竜には麻雀を打つ以外の描写がほとんど無い。バーへ行ったり生活感に乏しい賃貸の家には賭場主からあてがわれた女もいるが、竜からその女に対して能動的に興味を示すシーンは皆無。
竜の苗字すら分からず代打ちを依頼してくる男が登場するも、親兄弟や友人についての登場はなく、ひたすら麻雀を打って過ごしている。
竜の強運を求めてヤクザたちが入れ替わり勝負を挑んでくるわけだが、そもそもヤクザが天下を取りたいといいながら麻雀ばっかりやっているのが可笑しい。
そんなヤクザに対して竜は「背中が煤けている」「麻雀語るには早すぎる」など相手を逆撫でするような毒を吐くのだが、その言葉には人間性の核心を突くような鋭さもある。
さらに暗闇の中、竜がツモると閃光が放たれるというエピソードまであったり、銃で撃たれたあとも目撃情報が絶えなかったりと存在そのものが人間離れしている。
一緒に卓を囲めば竜の強運を確かに感じられるのだが、手に入れようとしても誰も決して手に入れることの出来ない蜃気楼なもので、こうなってくるともはや竜の存在は人というよりも、人の持つ支配欲を満たす何かを実体化した象徴的なもの、または概念に近い。
そういったファンタジー要素が強く、むしろ麻雀漫画特有の駆け引きはほとんどないため、麻雀を知らない人でも楽しめる作品となっており、竜が強面のヤクザを相手にゴリ押しで勝ちを重ねていく展開にはカタルシスがある。

5巻表紙

原作への愛を感じる高い品質の絵柄、演出、音楽

本作品では3つのモードをプレイ出来て、ドラマモードはゲームオリジナルとなるがシナリオは漫画の世界観を忠実に再現しているので、ストーリーに違和感が無いのが嬉しい。

モードセレクト

「ドラマモード壱」では二代目甲斐組若頭の外田裕二となって、様々なヤクザと麻雀対決をしながら情報収集して竜を探し求めることになる。
ラスボスはもちろん竜になるのだが、竜は哭くとドラがいくつものってくることがザラでなかなか勝つことが出来ない。
そんな竜に勝たないとエンディングへたどり着けないのだが、やっとのことで勝っても、竜に「当たり牌を見逃されていた」ことが発覚して、勝てたことがぬか喜びになりかねないが、竜の最強伝説は保たれる終わり方になっている。

当たり牌

「ドラマモード弐」では、竜になりきって麻雀勝負を挑みドラマを進行することになるのだが、残念ながら原作のように配牌が良いわけではなく、哭くほどに強くなったりもしないのは少し残念。
せっかくだから、原作同様に竜みたく無双してみたかったのだが、ゲームバランスが悪くなるのでこれは致し方ないか。
さらに各対局にはボスキャラとして甲斐 正三、石川 喬、海東 武などが登場するのだが、2順目でリーチしてくることがザラで難易度はそこそこ高い。
ロンをする石川が卓にドスを突き立ててくるのに、平然と麻雀をやっているのも奇妙だが世界観には合っていた。

石川ドス

グラフィックの品質も当時のPC-9801のゲームの中でも群を抜いていた。漫画の再現度の高い絵柄にも驚くが、白黒の漫画に慣れていたので人物に色がついているのも嬉しいし、少し沈んだ色で統一された配色も美しい。
質の高い音楽も雰囲気を盛り上げてくれて渋い曲が多いのも良かった。細かいところでは、オープニングでサイコロの振られる音まで効果音として入っているのも良かった。

openning_甲斐

そしてなにより素晴らしいのが、人物のトリミングによって画面に迫力を出出していることが本作の大きな魅力としてある。
オープニングやドラマモードでは大胆に上下を黒く塗りつぶして、長体のかかった文字で人物紹介と名前を大きく表示。
対戦中に卓を囲む連中が漫画内の言葉をランダムで呟くのも麻雀ゲームとしてかなり個性的だが、麻雀牌や文字情報に被さるようにキャラが登場するのもかなり思い切っている。このようなレイアウトのセンスの良さによって、漫画には無いゲーム独自の魅力が引き上げられている。
さらに、役に応じてゲーム独自のグラフィックが表示されるのも凝っていた。一発でアガれば大砲が表示されて、ドラがのれば半裸の男が銅鑼を叩いていたり、七対子なら向き合う狛犬がいたりと、絵柄にユーモアも混ざっていた。

昭和ならではを思い起こさせる

暴対法の施行が1991年なので、このゲームが発売された頃というのは現代よりもヤクザが影響力を持っていた。大人たちの娯楽も現代よりも選択肢が少なく、繁華街の雑居ビルなどで雀荘を見かけることも多かった。
そして、原作での中島みゆきの歌詞とタクシーに轢かれる女のシーンの湿っぽさが、いかにも昭和を感じさせる。

竜を待つ女

また、ヤクザを相手に無双する主人公、ギャンブル、自己陶酔感のある決めメ台詞など、いわゆる中学生くらいの男子が憧れる要素がたくさん詰まっていたから、禁煙パイポを指に挟んで「背中が煤けている」とつぶやきながら麻雀をする中学男子の友人も、嘘みたいだが本当にいた。
いかにも昭和的で、過剰な演出でコテコテに塗り固められながらも、ギャグに走りすぎることなく、シリアスにつくり込まれているからこそ魅力があるとも思うのだ。
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余談だが、1992年には内容の異なるスーパーファミコン版も違うメーカーから発売されていたらしい。
ヤクザの抗争と麻雀をテーマにしながら、小中学生をメインターゲットにしているスーパーファミコンでゲームを発売することに、当時のメーカーがよくGoサインを出したものだと思う。そういうのも昭和ならではのおおらかさか。

タイトル


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