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しらないこと

068 しらないこと

お酒をある程度のんだ後数日は不安障害の発作がやってくるのは経験則でわかっていて、にも関わらずやらかすのは楽しいし、しばらく間隔をあけると苦しさを忘れてしまうから。今日も例に漏れず体調が悪くて、薬をのんだら涙も出てきて授業を抜け出してきた。そんなこんなで「保健室」にもいく気分にもなれず、木陰のベンチで音楽を聴きながら書く。

最近は悩んで答えっぽいのを見つけて、でもなあ、ってぐるぐるもやもやしている。

将来何になるの?何科のお医者さん?

いや、知らんがな。別に医者になりたくてきたわけじゃないし。そういうあなたは?

自分が「今」それに興味があるんだ、って認知できるにはいいかもしれないけど、なんだか呪いにもなっていく。言霊だから。前はこういってたじゃん、って言われることもあって、そんときはそんときという「今」の私がそう思っていた、或いは、そういっていただけ。

過度な期待も負担

医師として働いて治してもらうことを期待されることばかりだ。医学生だっていえば大体反応は決まっていて、それがいやだった時期はなるべく言わないようにしていたこともある。およそ名乗らなければ人文だと思われているのでそれでいい。大学の所属は医学でも、土日月火は人文界隈をふらふらしてるからね。

別に何を訊いてもらってもいいし、期待してもらってもいいはず。私はすべての人の言葉を心にいれないようにしたいだけなんだよ。

困っている人がいたら助けたいと思うし、医師はいないか、といわれて緊急に立ち会えるそんなかっこよさにはとっても憧れるけど、実は、心から病気を治したいと思ったことも、それを治す医師に憧れたこともない。

今はもっと死の近くで生きたい。

緩和ケアとか法医学とか。心のケアでもいい。

どうして私たちはいつも未来とか将来とかを問うのだろうか。もっと今を心地よく生きられたらいいのに。昨日は蕾だった花が咲いた、とか、美しい詩を見つけた、とか、虹がかかった、とか、そんなことを伝えあって笑い会えたらいいのに。

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