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机上の空論ブログ4

今回はおそらく一旦ラストです(笑)

今回は、またもう一度戻って抽象的な話をします!

ちなみに、ファイナンス的な話は一旦しません!
というより、経営の話自体もしないです!

なぜかというと、今勉強中なので!

今、実はその勉強をしなければいけないのですが、
集中できなくなったので、一旦こっちやります!

ということで、早速本題!

まず、実は事業のキャッチコピーが決まっていないのですが、
いいのを思い付きました!

今、ビビビときているキャッチコピーは、

「ワクワクを起点に「『社会』に出る」ではない世界をつくる」

です!

ちょっとわかりやすくないですか?
けど、日本語おかしくて、ちょっと気持ち悪い

このキャッチコピーはわかりやすいけど、
日本語がおかしい点で印象に残りやすいのでは?
と思っています!

まあ、キャッチコピーの話をし出すと
おそらく今回のブログはそれで終わってしまいます

今回書きたいのはそこじゃないので、
一旦ここまでにします

キャッチコピーに関しては
もっとたくさんの言葉に触れて
磨いていきます!

ということで、次の話なのですが、
そのまえに、
自己実現を構成する要素は
「自己表現」と「社会コーディネート」という
話をしました!



それをもとにマトリックスを作成し、
「自己表現」的な要素も「社会コーディネート」的な要素も
薄い象限が「社会」(虚像の社会)という話もしました!

これは一見わかりやすいですが、
おそらく国語力がある人とかなら
「若干論理飛躍してない?」と
なったのではないでしょうか?

実は後から振り返り、
「言葉足らずだったのでは?」
という風に思ったので、ここで丁寧に補足します!

「社会」(虚像の社会)は「常識」「マナー」「礼儀」とかの規範が厳しく、
たとえば「遅刻しない」「初対面の人には礼儀正しく」「報連相」など
言ってることは正しくても洗脳チックだということを「今後の方針」で述べました!

ということは、批判するのはここなんじゃない?
そう思ったかもしれません

ただ、このような、いつからか日本人に刷り込まれた
「社会人意識」に抵抗しようと思った場合、
自分をどう表現するかということと、
理想の社会をどうとらえるかということが
必要になります!

どういうことか
ここから説明します!

その前に、そもそも、実像の社会の定義は、
「赤ん坊から死ぬ間際の人間までを包括した空間」
です!
(文化人類学?とかの世界なら死者も社会の人間の一員かもしれません)

ちなみに、ネット調べなのですが、辞書における社会の定義は

「複数の人々が持続的に一つの共同体に集まっている状態、
またその集まっている人びと自身、ないし彼らの間の結びつき」

だそうです!

「社会」という言葉は明治時代に入ってきた
「society」という言葉の訳語らしいです!

まあ、そんなことはどうでもいいのですが、
ここには一切、「学生を終えた後の世界」とか
「正規雇用された労働者で構成された世界」とか
一切書いていません。

というより、むしろ、地球全体の印象を受けますよね!
つまり、何が言いたいのかというと、
実像の社会は結局、「就活を経てみんなが働いている場所」
だけではないということです!

けれど、たとえば、『ゆとりですが何か』というドラマを見てみると
わかりやすいと思うのですが、
「社会」(虚像の社会)の概念がみんなの中にかなり浸透しています!


ということは、視野が狭くなっているということです!

そして、その「社会に出る」ということが一種の当たり前であれば、
「社会に出なきゃだめだ」
そう考えてしまいます!

そうしてフリーターとかが肩身狭くなるのですが、
まあ、それは置いておきましょう(笑)

フリーターは置いておいて、
「社会人」の方を見てみると、
「社会人」は就活で内定獲得ゲームを制して、
どうにか「社会」で生きていく道を見つけた状態です

よかったよかった
けど、本当に納得できているでしょうか?
夢や理想追えていなくないですか?

こうなるわけです。
一方、「社会」(虚像の社会)を取っ払い
自由に生きることが出来れば、自分の軸で生きていくことができます!


そして、そこで必要になるのが、
「自分独自の表現」と「理想の社会」です!


この2つは思考プロセスであり、
人生を考える上での指標です!

考えてみてください!
何の指標もなしに「社会」(虚像の社会)を離脱しましょう
といっても、難しいですよね?

じゃあ、どうするかというと
自分の主観的な社会とそこに付随するキャラと生き方を
作り上げるしかありません!

つまり、主観的なストーリーをつくりあげるということです!

実像の社会は大きすぎて捉えることができません!
一方で、逆に社会(実像の社会)は小さな世界の集合体で
できていると言えます!

たとえば、、、

ビジネスの世界、学生の世界、高齢者の世界、学校、
食の世界、国、武道の世界、スポーツの世界、アートの世界、
職人の世界、旅の世界、フリーターの世界、田舎、都会、
エロティックな世界、刑務所、犯罪組織、家族、社会課題、恋愛
戦場、若者の世界、会社、、、、

挙げていくときりがありません

ただ、どの世界にもその世界独自の
思想、価値観、カルチャー、ルール、たしなみ
礼儀、哲学があります

ただ、その世界に所属している人が
皆同じ価値観で生きているわけではないので
これはあくまで客観的な世界です

そして、その中から自分が生きる世界を認知し、
その世界の中で自分独自のこだわりや思想、価値観を形成し、
それに従って生きる

これができると人生よくなると
思います!

自分の居場所を確立し、
その中で自分のアイデンティティを形成し、
主体的に、豊かな生き方をする
ということです!

抽象的な話なので、具体例を挙げましょう!

たとえば、『ワンピース』がいい例です!


ルフィが生きる世界は五老星をトップとした
世界政府の権威が支配する残酷な世界です
ただ、ルフィが生きる世界も広く
さすがにうまく統治できていません

そのため、海賊という悪党が市民の生活を脅かす
過酷な世界でもあります。

庶民が天竜人に殺されたり、
海賊に殺されたり





まあ、確率は低いかもしれませんが、
理不尽なことや残酷なことが起きる
恐ろしい世界です

そんな世界でルフィは海賊をやっています
けど、ルフィは庶民を殺しません。

ただし、海賊王とか、お宝とか冒険とか自由とか
海賊マインドはバリバリにあります!


そして、ルフィは恩人には感謝し、
「飯を食わしてくれた」という単純で小さな恩をきっかけに
人を救うような人物です

ルフィの人間関係は、家族、仲間、友達、敵、その他のカテゴリーしかなく、
親しくなったら友達、一緒に航海することになれば仲間になるという単純なシステムです
(ビビやもものすけなど一部例外あり)
そして、仲間か友達などのために戦うという
ストーリーです



これすごくないですか?

ルフィは世界の権威や価値観に流されず、
自分の価値観で海賊という世界を思いっきり生きています!

そして、ルフィの人柄に合わせた人物たちが
ルフィの元にやってきて仲間になり、
少年漫画にできるようなワクワクかつハートフルな
世界線ができあがっているのです!

これこそ、幸福な生き方だと思います!

とはいえ、みんなをルフィにする事業をしたいわけではないので、
ルフィの生き方はあくまで個人的な憧れでしかないのですが(笑)

つまり、自分の好きな「世界」を見つけ、
その中で自分のキャラをちゃんと形成するということです!

この「世界を選ぶこと」こそが職業選びであるべきだと考えます!
そのうえで自分のキャラをしっかり形成すると一つのストーリーをえがけるので
人生の深みが増します!

こうすることで、自分の人生を自分の言葉で表現でき、
「社会」(虚像の社会)に流されずに済みます!

この時、「自己表現」の部分では、
自分の興味関心などから
職業、ライフスタイル、所得、消費スタイル
使う言葉、価値観
などを考える必要があるでしょう

「社会コーディネート」に関しては、
自分が生きてきたい世界を認知して、
そのうえで、その世界を作り上げることが
必要ということです!

これはどちらかというと
客観の話です!

自分が生きていきたい世界が発展途上だったり、
自分が生きていきたい世界の住人が少なかったり
することがあるかもしれません。

また、そもそも
自分の好きな世界を作り上げることに
パッションが湧く人もいるでしょう
社会課題解決などがそうです

この場合、その社会を作り上げる必要があります
これが「社会コーディネート」です!

このような背景をもとに
実像社会のマトリックスを見ると、
深みが出てくると思います!


ここで一度考えてみてください!

「社会」に出て、誰がつくったのかわからないルールに乗っかっていきるか
自分の「社会」を、自分の言葉・価値観・ルールで生きるのか

「社会」(虚像の社会)は本当に狭い世界です!

大企業を中心とする企業社会
そこに付随する学校、高齢者、主婦(主夫)

マスメディアはこのような絞り切ったピントで
社会を写し撮り、記事にしています

最近「Z世代化する社会」という記事を見つけ
読んでみたのですが、完全に日本の企業社会のことでした

記者はこれをあたかも社会全体のことのように書きます
本来は、この記事であれば「Z世代化する企業社会」とでも書くべきです

まあ、「社会」(虚像の社会)に関しては、
もののたとえであり、みんなきっと深い意味を考えずに使っています

「社会に出る」
その表現が持つ意味、印象などを考えていない人が多いでしょう

なので、こんなことをくそ真面目に批判していると
屁理屈だと言われかねません

けれど、「社会に出る」が生み出している結果は明確です!

みんな正規雇用を目指し、大学3年生になると就活を始める
キャリアというゲームに乗っかり、人生を設計する

そのような中、一つの問題として顕在化しているのが
「退職代行」でしょう

正直、「社会」(虚像の社会)について書きすぎて、
大げさに書き過ぎているかもな
と思ってしまったりするのですが、
この理論には自信があります

そして、この「社会」に対する批判と
「自己表現」「社会コーディネート」をコンセプトに
事業を作ろうとしているのですが、
これを「社会」(虚像の社会)への批判を中心とした
カウンターカルチャー的なコンテンツとして売り出すか、


それとも、ワクワクとか自分軸とか
やりたいことで生きるといった
自己啓発的なものとして売り出すか


ここが一つ問題です!

ビジネスの世界ではおそらく
PRの話に入るとおもうのですが、
ここをどうするかでコンテンツ自体のスタイルも変わります

批判性を強くすると宗教チックになったり、
洗脳感がでてきます

一方で、ワクワクとか自由な生き方といった部分ばかりを強調しすぎると
他の自己啓発系の事業と同じように見られ、
あまり目立たなくなります。

何より、コンセプトと人々の認知のずれが大きくなるでしょう。

人に話すにしろ、広告にするにしろ、
ある程度簡潔でなければなりません。

なので、ある程度絞って書くことになると
思うのですが、
そうすると、断片的な捉えられ方をして
ズレてくるのです

集団的自衛権が良い例ですが、
人々は表面的にモノを捉えるので、
どうしても認知はズレます
(集団的自衛権に関しては、マスメディアや野党の
印象操作もあると思いますが)

ちなみに、集団的自衛権のニュースが放送されていた当時の
自分もそうでしたし、今でもそうかもしれません。

たとえば、
「敷居が高い」「穿った見方」「甘党」「下世話」
「役不足」「後で後悔する」「破天荒」「確信犯」などの
言葉の意味、使い方もそうですし、
他にもいろいろあると思うのですが、
多くの人々は正しい物から30度くらいズレてものを認知している
ように思います

自分自身も例外ではないかもしれません。

だからこそ、
簡潔にかつ正確に伝える方法を考えるべきです
そして、何より伝わった時の印象が重要です!

このようなことを勘案したとき、
批判性を大事にしつつも
プラス方向のものを中心としたPRにするのが良いと
いう考えになりました。

半々ぐらいのイメージです!

具体的な話をすると、
最初に「社会」への批判を書き、
そこを打ち消すように「ワクワクを見つけよう」や
「自分の軸で生きよう」といったことを書きます

ここで一つ重要なのは、やはり、
批判性を強くし過ぎないことだと考えています

世の中の政治批判などがそうなのですが、
使う言葉によっていくらでも人々を煽り立てることは
できます


ただ、それをすると、おそらく、
凄く共感してくれる人とアレルギー反応を起こす人にわかれます

もちろんそれであえて共感してくれる人だけにターゲットを絞るのも
ビジネス的には良い手かもしれません。

しかし、それで、批判性の強い
ギラギラ系の人ばかり集まり
批判メインの事業にすると
ピュアな世界線にできなくなります。

「今後の方針」に書いたのですが、
シンプルで少しピュアな世界をつくるという目標で
この事業を計画しています

なので、批判性と同時にもっとピュアな思想も大事です

というより、「ピュアな思想」こそ重要かもしれません
そのピュアさこそが「社会」へ抵抗する原動力になるので

それこそ、『ワンピース』なみに
じぶんたちの世界をつくりきり、
そこで生きるような形にしたいので、
ピュアさは重要です

ただ、自分の欲望や理想として
「『社会に出る』って価値観は古いよね」
っていう風な価値観が流行している社会に
なればいいなという考えが強く在ります

この「社会に出る」っていう思想に
自分自身が被害を受けてきたわけではないのですが、
この対極の世界で生きる人に出会い、
その人々をいいなと思ってきたので、

そのような生き方がもっと認知され、
価値が出るような社会にしたいと考えています

そのため、このような切り口から
社会をアップデートしたいなという気持ちを
持っているのです。

ただし、まず、自分がそこまでの
影響力を持てる未来が見えないのと、

もし「『社会に出る』という思想が古い」という
風潮が生まれたとしても

先述した通り、30度ほどズレてしてしまったり、
安っぽく流行して終わる可能性があるという問題点が
考えられます

たとえば、「シャカハラ」(「社会に出る」というハラスメント)とか呼ばれ、
ハラスメントと結びつけられて語られたりして、
ルールチックな形に落とし込まれて流行するみたいなイメージです(笑)

まあ、それでもいいとは思います
というのも人口に膾炙することがまず重要であり、
その後また次のアップデートがあればいいので

「社会」ををアップデートするとっかかりに
なれば一旦は良いと思います

まあ、この点に関してはいいとして
ズレ過ぎるのだけは避けたいなと思います

あと、売りたい部分は理念・コンセプトの部分なので、
この事業が「ゲストハウス運営」とか
「自己啓発事業」とかの「具体」で認知されても困ります

あくまで「理念」を売りたいわけであり、
ただのゲストハウスを運営したり、
安っぽい自己啓発をしたいわけではないので、
ここはズレてほしくないなと思います

たとえば、ゲストハウス運営をするという文脈の場合、
「外国人と交流する場」とか
「安く泊まれる場」とか
「旅人が集う場」とかになってしまいます。

そうすると、このようなゲストハウス市場で、
差別化を図るポイントが
「対話」「夢語り」「『社会』への批判」になってしまい、
こうなると理念の意味がゼロになってしまいます。

それでも、きっと
ビジネス的には難しいと思いますし、
今、ビジネスを勉強したての状況だから
言えていることかもしれないので、
妥協は必要かもしれません

哲学や社会学、思想、価値観は抽象、
ビジネス、経営、ファイナンスなどは具体の話なので、

ビジネスの話をするときっとみんな具体の部分から認知します

もちろん説明はくわえますが、
自分はきっと「ゲストハウスを立ち上げたい人」とか
「自己啓発的なことをしたい人」
という語られ方をすると思います

この時、このコンセプトはUSPとかに分類され、
カテゴリー的には何かしらの事業名のある部分に入れられる
という形になるというイメージです!

まあ、ここは仕方ありませんが、
このようなことが起こった時、
ちょっと心の中で泣くかもしれません(笑)

ただ、繰り返しますが、
売りたいのは理念やコンセプトです!
事業はあくまでそれを現実的なものに
落とし込むものにすぎません!

まあ、認知がズレてしまっても仕方ありませんが、
いずれにせよ、正しい価値がちゃんと伝わるように、
コンセプトと事業が1ミリもずれないようにしようと思います!

他にもいろいろ語りたいことはあるのですが、
最低限話したいことは話せたと思うので、
ここで終わります

長くなり、時間も使いすぎ、
色々焦りが出てきて、
文章にも影響が出てきているので、
ここが限界です。

今までで一番長くなってしまったかもしれません
ここまで長い文章を読んでくれる人は少ないかもしれませんが、
このブログは「発散」に近いので、
またどこかでうまく簡潔にまとめたものをリリースします!

ここまでご拝読ありがとうございました!

と思ったのですが、まだ語りたいことありました(笑)

次回でラストです!









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