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机上の空論ブログ2

机上の空論ブログ1の続きです!

前回、2階建て構造の話と
自分軸・自己実現の構成要素の話をしました!

というわけで、さっそく続きを書きたいのですが、
一旦前回の話の補足をします!

まず、もしかすると、
前回変な終わり方をしていた?かもしれないので、
前回の結論をここに書きます(明らかに奇妙w)

結論、
自分の言葉、自分の概念、自分の価値観、自分の幸せで生きていくには、
「自己表現」と「社会コーディネート」のどちらか、
あるいは両方を行う必要があり、
それは主観で決まります。
そのうえで、
この2つが最高の状態で満たされるような事業をコーディネートする
というのが結論です!

この時、これを可能にする物理的な空間設計と
心理的な場づくり、
コンセプトに合った持続可能な運用モデルが必要です。
それを今回お話します!

次に、2階建ての部分の話に関してなのですが、
2階部分の「お金が回る場」の構想に関しては、
実はどうするか迷っています

というのも、お金が回る場をつくるのは
かなり難しいと思うので(笑)

といっても、妥協したいわけではなく、
この難しいチャレンジをすることはコンセプトにあっているのか?
という部分の迷いがあるのです

「自己表現」と「社会コーディネート」を実現するための
拠点をつくること。
これがコンセプトにあった事業なので、
お金の話も当然含みます

自己表現するにも、
社会をコーディネートするにもお金がいるので
これは当然の話です

ただ、それが自分の役割なのかということは
考える必要があります

抽象的なコンセプトで話をしていたので、
大きな事業に見えるかもしれませんが、
自分が今考えていることは、
自分が火付け役になり、その火が燃え移って
広がっていくという構想です!


つまり、

とりま、拠点作って誰かに火をつけ、
それが循環すればいいや

そんな感じです(笑)

というのも、そもそも大きなビジネスをしたいわけではなく、
自分の理念を達成したいだけなので、
ミニマムに設計し、余白を残し、
そのままさらに自由に生きていけた方が理想的です!

すごい起業チックな話をしているのですが、
理念を達成する手段が起業だったというだけの話で、
別に大きく旗を上げようという意志はないのです

言うてみれば、
『鬼滅の刃』で炭次郎が鬼殺隊に入ったのと同じです
(炭次郎は「ねずこを人間に戻したい」と言ったら
義勇さんに、自動的に鬼殺隊入隊の方向に導かれて鬼殺隊に入ったわけで、
鬼殺隊に入りたかったわけではないです(笑))

といっても、結果は最大限追求したいので、
それに応じた選択をしようと思います!

起業がしたくないというわけでもなく、
今の心理状況としては、
自分が知らない、想像しきれない世界に行こうとしているので、
リアリティがわいてないって感じです

まあ、それはおいおい何とかするしかないのですが…

ちなみに、このプランは
文章を推敲するように
手直しをたくさんするしかないと考えています。
一旦机上の空論を続けます!

あと、「社会コーディネート」についてなのですが、
わかりやすく「社会貢献」で説明しましたが、
実際のイメージはちょっと違います

個人的には「社会貢献」にはあまり興味ありません(笑)

それよりも、
人を幸せにするとか、
人の人生を豊かにするとか、
社会を良い方向に変えるとか、
幸せな社会をつくるとか
です!!

つまり、理想の社会を「つくる」というイメージです!
そっちのイメージの方がよくないですか?


コンプライアンスが重視され、
SDGsとかが流行るようになった世の中で、
「社会貢献」という言葉が流行するようになりました。

経済活動をする際に、汚物を垂れ流さない。
海外の労働力を安く買い取ったり、
海外で超低い原価で材料を買ったりしない。

このようなことがコンプライアンスで定まりました。

あるいは、SDGsという「誰一人取り残さない持続可能な開発目標」も生まれたり、
ESG投資が生まれたりしました


世界は今、「倫理的」に設計されて行き、
その世界線がなんか流行しているのです!

ちなみに、話脱線するのですが、
自分自身知ったかに近い部分もあるのであまり言えないのですが、
SDGs=環境問題みたいに言う人がいるのですが、
全く違います。

SDGsは環境、経済、社会、ガバナンスに関する、
「持続可能」な「開発目標」です。
環境問題オンリーではありません。

まあ、それはいいのですが、

コンプライアンスが重視され、
企業が植樹したり、寄付したり、
フェアトレードしたりして社会のことを考える。

市民はエコバックを持つようになり、
環境に配慮した商品、フェアトレードされた商品を買うなど
エシカル消費を行う。

さらには、Z世代の若者が社会貢献性の高い企業を選ぶ。

美しい物語です。

元社会学部生でありながら詳しくは勉強できていないのですが、
この一連の社会の動きにはある「ストーリー」が見えます。

高度経済成長期、フォーディズムなどの生産体制により、
大量生産大量消費の体制が確立されました。

国民の所得が倍以上になり、
ものも増えたので、経済がむちゃくちゃ成長し、
日本はいけいけになりました。

ただ、その反動で、日本企業は
たくさんの汚物を垂れ流しました。


空気が汚すぎて、東京で、公衆電話のようなもので、
酸素が売られていたそうです(笑)

完全に狂ってます

その結果、イタイイタイ病とか四日市ぜんそくとかの公害病が起こり、
企業の経済活動のやり方に批判が生じます。
そして、裁判などを経て、企業の動きは見直されました。

その後の流れは詳しくないので書けないのですが、
企業は法令順守、そして、
CSR(企業の社会的責任)が求められるようになりました。


つまり、市民が戦ったり、
偉い人たちや国際社会などがいろいろ変革し、
ついには倫理ある「社会」ができたのです!

ですが、これには負の側面があります!

SDGsはビジネスチャンス、マーケティング戦略になります!
CSRに基づく活動は広告になります!

まあ、それ自体は悪いことじゃないのですが、
なんか純粋じゃないですよね(笑)

本来、社会のためにいいことをするのが「社会貢献」なのに、
目的やコンセプトがずれていますよね

しかも、ビジネス=社会貢献なのに、
企業はさらに社会貢献を求められ、可哀そうです

そして、「社会貢献」の最もヤバい部分は
「社会に貢献する」ということです

「貢献」って何?って感じですよね?
ワクワクしないし、何目線の話って感じですよね?

実は、この「社会貢献」も
常識、マナー、礼儀、キャリアなどと同じ、
「社会」(虚像の社会)の言葉だと考えています!

そして、「『社会』の言葉」、「『社会』の概念」は
校則のようなものです。
もしかすると、言ってることは正しいかもしれないけど、
理由が欠如していて、本質を外し、ただ単に人々の行動を制限するもの
そのイメージです

まあ、これについてこれ以上語ると長くなりすぎると思うので、
ここまでにしますが、

「社会貢献」に対する違和感は、
①個人的にワクワクしないところ、
②本質をついていなさそうなところ
③謎に人口に膾炙して、便利な表現になっているところ
④目線や定義がよくわからないところ
です

「社会貢献」という言葉が好きな人、すみません
ただ、「社会貢献」が好きな人にとっての「社会貢献」はきっと問題ありません。
なぜなら、その人は、「社会貢献」の定義がしっかりしている可能性が高いので!

ただ、「社会」に転がっている「社会貢献」という安っぽい言葉には注意です!
実態がよくわからないので

ということで、ヤバそうなので、「社会コーディネート」を「社会貢献」と
呼ばないようにしました。
というより、「社会貢献」を避け、コンセプトにあった表現を確立するために
「社会コーディネート」という言葉を作りました!


ワクワクを起点に、自分たちの幸せな社会をつくる
そういうコンセプトです!

前回は「社会貢献」という表現でもいいかなぁと思っていたのですが、
今回文章を書いていると、やっぱりよくないと思うようになりました。

どんな社会を創りたいか?
この答えこそが、社会コーディネートです
ここには、社会課題解決、教育、政治、経済
「社会」が関わっているものすべて含まれます!

批判的な内容が多くなってしまったのですが、
この事業はもっとバカでピュアなものの想定なので、
コンセプトに含まれる批判性は減らします!

ちなみに、であれば、前回「社会貢献」って言うなよ!
そう心の中で突っ込んだ人多いのではないでしょうか?

この話をするにはこう言った文脈で語る必要があり、
あそこの部分にそれをぶっこむとブログが狂うと思ったので、
あえて入れませんでした。

ただ、このまま進むとコンセプトが伝わらないと思ったので、
補足を入れました!

しかしながら、その補足を入れたことで今回のブログが狂いました(笑)
本題は次回です!


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