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区別が多い世界の中で、区別→つながりで考える

抽象的なことになるが、最近感じてることがあるので書こうと思う。貧弱な頭で考えたじゃれ事レベルのことかもしれないが、的を得ている気がするので、書くことにする。

そう、タイトルの通り、区別→つながりでの考え方が大事なのではないかというのが、今回の内容だ。

人類は、区別することが大好き。この世のあらゆるものは区別される。

人間、動物、植物
人種
性別
大人、子ども
文系、理系
社会人、学生
自国、他国
資本主義、社会主義
先進国、途上国
大卒、高卒
高学歴、低学歴
会社員、無職
正規雇用、非正規雇用
ホワイトカラー、ブルーカラー

挙げていくときりがない。
ただ、区別自体は悪いことではない。
区別で終わることが問題。
まるで、散らかすだけ散らかして、片付けないかのように、区別で終わっているものは多くある。あるいは、区別か繋がりの片方でしか考えないものも多い。

と言っても、今回は批判をしたいわけではない。
「区別→つながり」で考えることで、生きるふり幅が広がり、可能性が広がるのではないかということが言いたいのだ。

その前に、世の中のものは皆、つながっている。

たとえば、文系と理系。これは、性質的に国語力を利用するという点でつながっている(実技科目以外は実は皆、国語力の応用で成り立っている)

人間動物植物も生物という点で繋がっている(何なら、原子・電子・素粒子という点では物質もつながっている)

人種に関してもそう。人間の祖先は皆、ホモサピエンスであり、皆アフリカ大陸から来ている。その点で、ルーツは皆同じ。

なのに、人類は分けるのが好き。分けるのはきっと物事を可視化するためにある。それで分かり易くなることは多い。語れることも多い。ただ、分けっぱなしで終わっていることも多い。

たとえば、山、川、海、緯度、経度を境に国境を引いたことで、互いの権利が分かり易くなったり、集団維持がしやすくなった。けれど、分けっぱなしにしたことで、戦争が起こるようになった。国同士の序列ができた。アフリカに至っては、分けられたことで、同一民族の間で国籍を分断された事例もおおい。朝鮮半島もそうだろう。

さらに、人種に関して言うと、ホモサピエンスという点で皆同じ。けど、見た目は違う。人間は、その見た目を目印に自分たちを人種分けした。人種は人間が作り出した虚像だ。そしてそれが、分断を生み、差別を生んでいる。肌の色に名前を付けて語れると分かり易い場面は多くあるかもしれない。けれど、分けっぱなしにした結果、分断差別が起こっている。

とはいえ、区別が悪いわけではない。逆のパターンもある。
たとえば、戦争や植民地支配が過去にあり、そのことに関して、世代が代わっているのに謝罪を求める事例がある。戦争の時代を知らない世代の人間が、過去の戦争のことに関して謝罪するのは奇妙だ。一部の反日思想の人とかがそうだし、逆に自らアフリカの国に謝ってしまったヨーロッパの首相がいるが、問題だと思う。これは、世代で区別する考えになっていないことで起こっている。というより、正確に言うと、国籍面では区別しているのに、世代間では区別しないために起こっていると言った方が正しい(都合のいい部分では繋げて考えるくせに、都合の悪い部分は区別するので悪質)

そんなことをするくらいなら、人類という点で国籍を突破らって繋げて考えて、人類皆で「これから戦争や植民地支配が起こらないようにするにはどうすればいいのか?」と考えるべきではないかと思う(きれいごとだし、正論でしかないかもしれないが)

区別して可視化して、そのうえで繋げて考える。それが大事なのではないかと思う。

まあ、社会問題は今回メインじゃないので、最後本題に入る。

いきなりつなげて考えてしまうと一つの物しか見えないかもしれない。ただ、分けて考えるだけでは物の見方が狭くなる。なので、まずは分類して俯瞰し、そこから繋げて考える。これできっと、人生のリソースの量がかわる。やりたいことの量もかわる。わくわくも変わると思う。

今回こう思った理由は、案外自分が人生でやりたいことが多そうな気がしたからだ。多くは断片的だけど、なんとなくはいくつかある。そのうえで、選択して切り捨ているのは虚しいし、切り捨てるのは勇気がいる。けれど、ある程度繋げて考えると、いくつかできることが増えたりするのではないかと思う。繋げて考えることで、学べるもの、得られるリソースが増え、人生豊かになる。そう考えている。

今回は衝動的に書いた内容で、ここまでの内容で満足したのでここでやめにするが、これからいろいろ思考を深め、その思考に自分が追い付けるように力をつけたいなと思う。




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