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小さなプロジェクトの終わり〈橋本治読書日記〉

橋本治四季四部作を季節ごとに読むプロジェクト、最後の『夏日』を読み終わった。

この中に、映画「ウエストサイド物語」に一目惚れをしたという文章があったので、映画も観た。新旧、スピルバーグ版の「ウエストサイドストーリー」も合わせて。

6月はよく映画を観た月だった。
最近は北村紗衣さんの本を集中的に読むようにしていて6月は2冊読了したのだが、北村さんの本を読んでいると、映画が観たくなる。北村さんの本をきっかけに、今まで自分では選択することのなかった(または知らなかった)映画をたくさん観た。未来を花束にして、バニシング・ポイント、グラインドハウス∶デス・プルーフ、タンジェリン、クレイジー・リッチなどなど。もともと好きだったキングスマンと続編のゴールデン・サークルも見返した。
そのほか、全く脈絡なく、見逃していた映画を思い出しながら観た。イニシェリン島の精霊、ワンダーウーマン1984、ミセス・ハリスパリへ行く、マイ・ブロークン・マリコ、私は最悪、355。
北村さんの本で読んだのはこの2冊。


観たかったウーマン・トーキングは日程が絶望的に合わなくて行けずじまい。女性が自分たちの未来を決めるために話し合う映画だと聞けば「原作を読むのもいいか」と思ったが、原作の日本語訳はまだ出ていないようで夢に終わる。私は英文科を出たのだけれどね。「大学院進学は英語がネックになってダメだった」のは橋本治のエピソードだが、橋本治を読みすぎて私もそうなってしまった。それは冗談、ただ私の日常に英語が必要ではないだけだ。
フェミニスト批評を専門とする北村紗衣さんの『お砂糖とスパイスと爆発的な何か』をはじめとした本の多くは批評の入門書である。

「ひとつ強調しておきたいのは、批評をする時の解釈に正解はないが、間違いはある、ということです。よく、解釈なんて自由だから間違いなんかない、と思っている人がいますが、これは大間違いです。間違った解釈というのは、とくにフィクション内事実の認定に関するものを中心に、けっこうあります。フィクション内事実の認定というのは、ある物語の中で事実として提示されていることを正確に押さえられているかどうかです。たまに映画評などを読んでいると、『いや、そいつそこで死んでなくない?』とか、『それ、説明する場面が最初にあったでしょ』みたいなツッコミを入れたくなることがありますが、そういう誤読ですね。いくら解釈が自由だと言っても、作品内で提示されている事柄の辻褄がおかしくならないように読まなければなりません。このへんは歴史学と似たところがあり、歴史学はさらに洗練された厳密なプロセスで間違った解釈を捨てるノウハウを持っています。これを理解しないで歴史学に取り組むと、詐欺まがいの学説に騙されたり、歴史修正的否認主義者になったりしてしまうわけですね。歴史同様、文芸に向き合う時も否認主義者にならないよう、気をつけなければなりません。」

北村紗衣『お砂糖とスパイスと爆発的な何か』

これで思い出すのは、去年、橋本治読者の中で話題に上がっていた『蓮と刀』論争である。論争というほどではないかもしれないが、きっかけは書評家が絶版本を紹介するという記事で『蓮と刀』が取り上げられたことである。
その記事は、最後“俺とまずは寝よう。そう言い切った橋本治”と締めくくられていて、私を含めた橋本治読者の「橋本治はそんなこと言ってない」という強烈な拒否反応を引き起こした。それから、「橋本治は男の性欲を語るために幼児語を使ったのではない」など、冷静に誤読を指摘する声も上がった。しかし、議論の方向性は「橋本治が何を書いたか」ではなく、「個人の解釈の自由」に次第に傾いていく。橋本治の本はただでさえ絶版が多いので、年若い人気のある書評家が記事にするだけでもありがたいという見方もあった。話題にされるだけでもありがたいという気持ちは当時の私にも少なからずあったけれど、今は少し違う。なんかやっぱりすごくやだった。揚げ足を取るつもりはない。でもあの締めくくりは『蓮と刀』を要約するような文脈で出てきた一文で、それが「俺とまずは寝よう」だったこと、橋本治がそんなことを書いていて、『蓮と刀』はそういうことを言っている本だと書かれたことが、今でも解せないほどに嫌だ。すべては個人の解釈の自由という結論でその議論が終わったことも。記事を書いた本人が事実認定と解釈を曖昧にごっちゃにしていることも、それを自覚もしていないことも、テキストを読めない人が書評家を名乗ることも。挙句の果てに、橋本治が書いた「男と寝る」を比喩だと書いたことも。出版社ですら「個人の解釈の自由」に逃げたことも、橋本治読者の「話題にされるだけでもありがたい」という気持ちが利用されたような気がすることも、自分がそんなことを思っていた事実も橋本治に失礼だったんだ。
だから私はちゃんと批評を学びたいと思った。批評理論を学んで、歴史学もイチからちゃんとやりたい。テキストを精読する術をさらに身につけたい。
橋本治を研究するうえでテーマが必要なんだな、と『文学研究者になる』を読んで知ったが、フェミニスト批評と橋本治という二つの軸の立て方は面白いかもしれない。

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