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研究って?─人違い編

集めた本や資料を読んでいるとしばし出会うものがある。
「同姓同名の人違い」である。
取り寄せて読んでみなければわからないので、これも研究活動の一環だと思うしかない。ただ、同じ間違いを何度もしたくないから、リスト化はしていこうと思う。
私が出会った“橋本治違い”は今のところ2人。

①『加賀藩研究を切り開く〔1〕長山直治追悼論集』
pp.331-340「松雲公への景仰と森田柿園」
②『婦人公論』平成25年2月22日号pp.56-59
「お茶の間は笑わせても、私を笑わせるのは難しい イチかバチかの選択!? 『芸人の妻』になった女性たち」

①②ともに、文章が明らかに違うという第一印象があった(ちなみに①②もそれぞれ別人である)。でも第一印象だけでは主観的で説得力がない。①は著者プロフィールがあって、生年が異なることが決定的な決め手。②は正直決め手に欠けるが、私が普段読んでいる橋本治を基準にすれば、橋本治らしさが1ミリもない文章だった。インタビュー&ルポルタージュという記事の性質上何のひねりもなくて当然だし、むしろ記事の執筆者は忠実に職務を執行した文章を書いているのだけれど、それがあまりにも橋本治とはかけ離れていた。そもそも肩書を「フリーライター」としている時点でもう全然違うような気がするし、はっきり言って橋本治の文章にひねりやうねりがないわけがない。勢いや強引さの中にも、めんどくさくて丁寧すぎるほどの段取りや順序や論理の積み重ねがあって、それが独特の構造となって表れているのが橋本治の文章で、事実を伝えることを第一の目的とする新聞や雑誌のルポとは全く性質を異にする。そして、何らかの理由で橋本治が新聞記事や雑誌のルポを書いたとしてもこの文章にはならないという確信を持って②の橋本治氏は別人と判断した。

今日読んでいたのは間違いなく私が追っている橋本治の記事。
『學鐙』平成26年(2014)第111巻第3号pp.6-9
「問題の立て方」

あと、橋本治ではないが、図書館で借りて読み始めて「これはちゃんと読むべき!」と思って買った本がこちら。橋本治『桃尻娘』も出てくる。

これは余談で雑談なんですけど、先日書店で取り置きしていた本を買いに行ったんです。自分の名前を名乗ったら「本のタイトルは?」と聞かれてほんッとーにムダなマニュアルだなと思いました。取り置きしていた本を買いに行ってタイトル言う必要ありますか?別に恥ずかしい本を買ったわけでもなくて、タイトルだってなんともないし、なんなら私は『桃尻娘』を堂々と人前で言うこともできますけど、カウンターで客にタイトルを言わせるマニュアルがとにかく嫌でした。最近は取り置きして買いに行くことが多くなって、別の本屋ではタイトルは聞かれないので、店の規模とかにもよるのかとも思いますが(タイトルごとに並べてあるとか)。本屋の相性ってそういうところに差が出てきて、取り置きするときはココ、飛び込みで買うときはあっちとか、いろいろ使い分けてます。ネット書店は配送が雑なところがあって新品買って後悔することがままあるので、できるだけリアル書店で買いたいこの頃です。

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