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『完本チャンバラ時代劇講座』復刊〈橋本治読書日記〉

橋本治『完本チャンバラ時代劇講座』が初文庫化、復刊した。

新刊書店で買える橋本治の本は文字通りの絶滅危惧種なので、嬉しくて1・2巻とも複数冊ずつ買ってしまった。

私は電子書籍より紙の本が好きで、古本よりは新刊が好き。
橋本治の本はとにかく絶版が多いので仕方なく古本を揃えるしかないけれど、何百冊も買っていると、読む気が失せるほど状態の悪い本に当たることもある。それでも読めればありがたいと思って、少しでも気分が上がるようにカバーをかけたり泣く泣く処分するという数年間を経ているため、新刊を手にすると興奮してしまう。
少し残念な点があるとすれば、単行本に含まれていた数々の写真や付録の年表がなくなっていたので、私が今後読むのは状態の悪い単行本のほうだろうということだ。

正月休みの間に『大江戸歌舞伎はこんなもの』を読み終わった。

「歌舞伎というものには、実に色々な要素がある。意外とそのことは忘れられています。“大悲劇”も歌舞伎なら、“バカバカしさ”もまた歌舞伎です。この二つの矛盾するものがピッタリ一つになって、ほとんど『唐突』と言ってもいいような出来上がり方をするものが、江戸の歌舞伎なんです。」

橋本治『大江戸歌舞伎はこんなもの』

これはまさに橋本治の仕事そのものだと思う。

年末年始はどこにも行かず落ち着いて過ごせた。だから…というわけではないが、普段はあまりやらないことを思い立って2022年に読んだ本を数えてみた。27冊。2週間に一冊のペースを継続していた体感と相違なく、わかったところで面白くもない結果。私の人生に余暇はあまりなく、地味で、淡々としている。振り返っても「そうなる以外ありえない」毎日の積み重ねなので、「アレをやっていた時間を読書に充てれば…」という後悔は皆無。だから別に「今年はもっと読むぞ!」という気も起きない。
ちなみに去年の一冊目に読んだ本は橋本治『巡礼』だったらしい。

本は量ではないから読んだ本を数えることに意味はない。好きでやってる人の否定をする気もないけど、自分が読んだ本のランキングをつけることにも興味はない。
では意味があることは何かと言えば、自分が読みたい本や読むべき本を自分で探してちゃんと読むことで、「わからないけどわかりたい」と思ったら同じ本を何度でも読めばいいと思うし、読めないと思ったら途中でやめればいい。
こんなに橋本治の本ばかり読んでその文体に慣れている私でも、新しい本に切り替えたときは導入部分を何度も読まないと理解できないし、前に進めない。
読書は結局のところ自分との対話であり、著者との対話だ。わからない自分も愚かな自分も恥ずかしい自分も唯一心をさらけ出せる場が読書で、そういう自分を受け入れたいから読書をしている。そういう読書をしたいから私は橋本治を読むのだと思う。

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