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『分かられる人間』より、『分からないけど魅力がある人間』になりたい

「江戸の歌舞伎という『なんだかよく分からないもの』は、素晴らしいことに、徹底して『なんだかよく分からないもの』です。中途半端なボロを出しません。『中途半端に理解される』ということに関しては、鉄壁の守りを構築しています。中途半端な説明を阻んで、そんなことを望む人間には、『野暮』という言葉をつきつけます。なんて素敵なんでしょう。『説明されるより、一体化してしまえ』という命令しかしない素敵な頑固者が江戸の歌舞伎で、私はそのスタイリストぶりに惚れたのです。惚れたが因果で、恋に理屈はありません。『人の恋路を邪魔するやつは、犬に蹴られて死ねばいい』というようなもので、その『なんだかよく分からないもの』に惚れた私は、『中途半端な説明を拒絶する徹底したスタイリストを可能にする構造とはなんだ?』という疑問解明に乗り出すのです。なんでそんなことをしたがるのか?理由は一つです。『自分もまた中途半端な説明を拒絶する徹底したスタイリストになりたい』という欲望ゆえです。
自分のなんだかよく分からない部分と、江戸歌舞伎のなんだかよく分からない部分は妙にシンクロしていて、『なんでそんなのが好きなの?』と問われても、『放っといてくれよ』にしかなりません。実際のところ、私はそれでいいと思っています。私は、『分かられる人間』より、『分からないけど魅力がある人間』になりたい。だからこそ私は、『なんだかよく分からないけど魅力がある人間』を放っといてくれない近代の(中途半端な)合理主義を嫌悪します。私にとっての江戸の歌舞伎とは、『自分に都合のいい分かり方』しか望まない近代の合理主義を撥ねつけてしまう、『なんだか分からないもの』の典型なのです。」

橋本治『大江戸歌舞伎はこんなもの』


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